「もう二度と戦争を起こさないために」戦後77年「戦争の悲惨さ」を訴え続ける澤地久枝さんの終戦記念日

戦後77年。今年も8月15日の終戦記念日を迎えます。みんなが望む戦争のない国。私たちの手で守りたいものです。そして戦争の記憶を次の世代に語り継ぐことも大切なことです。

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毎月3日に国会議事堂前で行っている無言の抗議に参加している「九条の会」の澤地久枝さん。

澤地久枝さん(作家)

「戦争の悲惨さだけは、語り継いでほしいですね」

「絶対に戦争のない平和な国であり続けることを祈るばかりです」

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『毎日が発見』編集部に届いた読者の方々からのお便り。

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戦争史・昭和史を描いてきた澤地さんの作品。

満州で終戦を迎えた私は、14歳の軍国少女だった

1945年8月15日、当時14歳だった澤地久枝さんが終戦を迎えたのは、中国東北部に位置する当時の満州でした。

「吉林陸軍病院の三等看護婦になるために勤労動員されていた私は、動員部隊の解散式に参加するために、吉林神社にいました。日本本土では玉音放送があった正午に神社に集まるように伝えられたのは、前日です。でも、神社に集まった私たち女学生は、戦争に負けるとはまったく思っていなくて、陸軍病院の軍医さんや衛生兵さんたちと別れることが悲しくて、みんな泣いていました。解散式が終わって大通りに出ると、突然、中国人の子どもに、『ニホン、マケタ』と言われました。驚いてそばにいた兵長に訊ねると、『流言蜚語は信念の弱気に生ず。惑うこと勿れ、動ずること勿れ』という戦陣訓の一説を、前を向いたまま、私の顔を見ることもなく諳んじ、私も『そうか』と思って家に帰りました。戦争が終わったことを知ったのは、家に帰ってからでした。父が『戦争は終わったよ』と言ったのか、『負けたよ』と言ったのかは覚えていませんが、それを聞いた私は、『あ、神風は吹かなかったんだ』と、思ったことを鮮明に覚えています。つまり私は、本当に愚かな軍国少女だったということです」

軍国少女であった、そのことが、戦争史・昭和史を中心としたノンフィクションを書き続けてきた澤地さんの原点だといいます。

「戦争がいかに悲惨なものか分かったのは、戦後ですよね。多くの命を失い、住む場所を失い、夫を失い、特に、それまで働いたことのなかった女性たちは、食べていくために言い尽くせない苦労をした。14歳までのバカな自分からは逃れられないけれど、だからこそ、もう二度と戦争を起こさないために、悲惨な記録を残しておかなければいけないと思ったんです」

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91歳のいまも執筆を続けている澤地さんの机。

戦争の悲惨さを訴え続けてきた半世紀

出版社に勤務後、作家・五味川純平氏の助手として超大作『戦争と人間』の脚注などを担当し、41歳で『妻たちの二・二六事件』を上梓した澤地さんは、今年で作家活動50年を迎えます。

「50年、長いようで早かったですね。戦後、私たちの生活は大きく変わったけれど、戦争の記憶がどんどん遠くなるなかで、危機感も感じています。いちばん許せないのは、憲法九条を変える露骨な動きです。日本には戦争の放棄を大原則としたこの憲法九条があることで、アメリカがさまざまな国に出兵しても、戦後、誰一人戦死者を出してこなかった。77年間平和が続いてきたことがどれだけ貴重か。それを若い人たちに伝えていかなければいけないですね」

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2004年に「九条の会」の呼びかけ人となった澤地さんは、いまも毎月3日に「憲法九条を守ろう」と書いたプラカードを持ち、無言の抗議に参加しています。

「休んだのは、骨折して絶対安静のときだけ。毎月3日に必ず『戦争反対』のスタンディングに参加するのが、14歳まで軍国少女だった私の罪滅ぼし。戦争に巻き込まれたら、簡単に自分の意思のない人間になれるし、命も平和も一瞬にして失ってしまう。そうならないためにも、年に一度でいいので8月15日は戦争の悲惨さを考える日にしてほしいですね。もしもいま、戦争が起こったらどうするか。自分ごととして考えてほしいです」

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日米の戦死者3419名を掘り起こした力作『滄海よ眠れ ミッドウェー海戦の生と死』をはじめとする澤地さんの著書。

取材・文/丸山佳子 撮影/原田崇

 

澤地久枝(さわち・ひさえ)さん

1930年、東京生まれ。49年に中央公論社入社。72年に『妻たちの二・二六事件』で注目される。『記録ミッドウェー海戦』で菊池寛賞受賞。親交があった中村哲氏の『人は愛するに足り、真心は信じるに足る アフガンとの約束』では聞き手を務める。

この記事は『毎日が発見』2022年8月号に掲載の情報です。

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