月刊誌「毎日が発見」の人気連載「俳句のじかん」。その選者である対馬康子さんに、戦後78年にあたるこの夏、次の世代に残したい平和を願う句を選んでいただきました。
この記事は『毎日が発見』2023年8月号に掲載の情報です。
戦争が終わって78年、戦時中の記憶を有する人が少なくなりました。
戦争の記憶が薄れつつある中、ウクライナの戦禍が伝えられています。
世界では理不尽な戦争が終わることなく続いているのです。
平和な日本に暮らしていても、戦争の悲劇は伝えられます。
いま、私たちにできることは、戦争の悲惨さを次の世代に伝えること。
数多くの文芸作品や映画などで描かれてきましたが、それも意図的に伝えていかなければ風化するのみ。
今回は「俳句」にみる平和への願いを集めてみました。それぞれの句からその想いをくみ取ってください。
対馬康子が選ぶ反戦の句
現代俳句は「戦後俳句」の歴史でもあります。
俳句は時代を語り、いまウクライナでは「戦禍の中の俳句」を詠み続ける俳人がいます。
東大構内三四郎池畔に、山口青邨「銀杏ちるまつたゞ中に法科あり」と有馬朗人「銀杏散る万巻(まんがん)の書の頁より」の2つの句碑が佇んでいます。
青邨句は時局風雲急を告げる1941(昭和16)年の作、朗人句は1985(昭和60)年作です。
明治以来日本の近代化のために官僚を送り出してきた東大法科が、黄金色に降りしきる銀杏落葉の中に立っている。
その深閑と抑制された表現に、開戦を阻止できなかったことに対する青邨の強い思いが込められています。
そして過去の過ちを超えて、世界の発展のために学び、平和に貢献するのだと朗人句は詠(うた)っているのです。
八月の赤子はいまも宙を蹴る
宇多喜代子
太陽に思いっきり宙を蹴る赤ん坊。
生命力の裏に八月という特別な月が重く呼びかけます。
自解によれば、東日本大震災の気仙沼や中東の戦渦で炭化状になって転がっていた赤ん坊に、終戦間際の空襲で目の当たりに見た真っ黒な赤子の記憶が遡ります。
突然命を奪われた赤子たちの宙を蹴る手足。
「なぜだ、なぜ死ぬ赤ん坊は元気に手足を上げているのか」と悲しい自問に対し、それは「赤子は絶命の間際に思わず母親に救いの手や足をさしのべ、そのまま息絶えたのではないか」との壮絶な思いに至ります。
そして「世界中の赤ん坊よ、私を殺さないでと大声で泣けばいい」と心を震わせるのです。
おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ
加藤楸邨(しゅうそん)
月もおぼろにかすむ中に、一人佇みもの思う春の夜。
形あるものないもの、いろいろなことが思い出され、また消えてゆく。
俳句は胸の奥底の大切な人への鎮魂の思いとともにあります。
この句は、本来反戦のことを詠ったものではないけれども、私には春の夜のおぼろなる思念は、第二次世界大戦をはじめ、祖国のために戦って亡くなった多くの人々の魂のかたまりを彷彿とさせるのです。
左義長や武器という武器焼いてしまえ
金子兜太(とうた)
トラック島からの最後の復員船で帰国した金子兜太は「非業の死者」に報うべく、反戦の意思を前面に戦後を生き抜きました。「原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ」は有名です。
掲句は、取り外した注連(しめ)飾りや松飾りなどを焚き上げる小正月の火祭です。
その神聖な火に、この世にある武器の全てを焼いてしまえと言う。
空へどんどん立ち昇る火の勢いに、戦争反対の思いも荒々しく高まります。
乳与う胸に星雲地に凍河
対馬康子
若い頃に住んだ米国での作。
東海岸の冬は寒く、地には降り積もった雪が凍る夜、当地で得た生まれたばかりの娘を抱いて乳を与える。
異国にあって、母としての厳粛な思いが渦巻くように湧き上がりました。
子の澄んだ小さな瞳に、人種や宗教を超えて強い成長を願う。
大地と天体に呼応する凍河。
それは厳しい社会情勢のごとく横たわっています。
アーリントン墓地の白い墓群は忘れられません。
イラスト/えんどうゆりこ