近代の代表的な女性歌人といえば、与謝野晶子の他、九条武子や柳原白蓮などがいますが、若山喜志子(きしこ)も忘れてはいけないと思います。若山牧水の妻です。
喜志子は明治21年に長野県現・塩尻市に誕生。多感な少女時代を過ごし、25歳で牧水と結婚しました。文学ひと筋の牧水は収入に乏しく旅好きで、喜志子は苦労し、寂しい思いを味わうこともありましたが、夫を愛する喜志子は健気(けなげ)でした。
疲れはて
眠れる人の頬のさびしさ
まづ何ごとに
唇(くち)をひらかむ
『無花果(いちぢく)』
疲れて眠りこけている夫が目をさましたら、何と言葉をかけたらいいのだろうか、という歌です。それは夫の「寂しさ」を喜志子がよく分かっていたからです。夫の寂しさを理解できたのは喜志子自身がやはり同じ「寂しさ」を心に抱いていたからなのでしょう。
そんな彼女は、夫が旅に出ると、帰りが待ち遠しいのでした。
いそいそと大地を鳴らし
来る君の足の音(と)より世に
こひしきはなし
『白梅集』
家に帰ってくる夫の足音を待ちこがれている歌です。あの人も家が恋しいはずだという思いが「いそいそと大地を鳴らし」の表現に出ています。
形にそふ影とし
吾は生くるなり
いよよかがやけ君の命の
『筑摩野』
夫の「影」で自分はいいのだという歌です。それだけ夫の牧水を愛していたからと言えます。
うてばひびくいのちのしらべ
しらべあひて
世にありがたき
二人なりしを
『筑摩野』
牧水が世を去ったときに詠んだ歌です。自分たちは世に稀な魂の通じ合った夫婦だったとしみじみと歌っています。
<伊藤先生の今月の徒然紀行>
花を眺めたり、育てたりすることが好きな人は、花の本をよく読まれていると思います。出版されている花の本の中で、それぞれに座右の書があることでしょう。私の座右の書は塚本邦雄著『百花游曆』です。
文藝春秋から1979年に発刊されました。塚本邦雄という博覧強記の歌人がうんちくを傾けて花の魅力を語り、花の名歌を紹介しています。その本が今度、講談社文芸文庫から出版されました。かつての文藝春秋の本と同じように、正字正仮名の美しい「詩歌植物園」です。解説で島内景二氏が著者塚本は「植物に詳しかった。詳しすぎるほどだった」と記しています。関心のある方はご一読を。