仕事柄、新しく出版された歌集を毎日のようにいただきます。生涯の内に1冊は歌集を出したいという方が多いからでしょうか。60代以上の方の第1歌集が目につきます。また半生の集大成のような作品集が多く、心に残るものが少なくありません。いくつかご紹介します。
ワンピースのファスナーをあげ
春色に包まれている
われの憂鬱
『結びなおして』
福岡市在住の間千都子(あいだちづこ)さんの作品です。外面は明るい春色に包まれていますが、内面は「憂鬱」がひそんでいると歌っています。老いというには早い、だがもう若くはない60代の心理の微妙が出ています。間さんには「盛会を祈ると書きて梅雨ごもる友らは今の私を知らない」という印象的な歌もありました。
イザナギの投げくる桃の味が
ふとよみがへりくる
夫としをれば
『梟(ふくろう)を待つ』
京都府木津川市在住の植田珠實(たまみ)さんの作です。黄泉比良坂(よもつひらさか)で
イザナギがイザナミに桃の実を投げつけたという伝説は有名ですが、植田さんは夫との間にこのとき何か心理的トラブルがあったのでしょうか。ユニークな発想の巧みな一首です。長いあいだ夫婦でいれば、そんな心理的トラブルはどんなに仲が良くてもありますね。「小学校の軋(きし)む廊下をバケツ持ちくれし少年といまも棲(す)みをり」も同じ歌集の作品です。幼なじみで、ずっと仲良しの夫婦なのでしょう。
男性の作品も紹介します。
ゴーヤジュースを朝々(あさあさ)飲めば
健康になる信念の
妻に付き合う
『レプリカの鯨』
東京都在住の野上卓(たかし)さんの作です。定年後の妻との生活を歌っていますが、おかしみを感じます。妻の「信念」に逆らったら、妻を怒らせ面倒になるので「付き合う」ことにしているのですね。野上さんは「死に場所もなき冬蜂のごとならむ団塊の世代20年後」とも歌っています。充実した60代の歌集です。
<歌始入門>
先日、あるシンポジウムで自分の作った短歌を誰に読んでもらうかという話題が出ました。短歌を詠まれる皆さん、誰かに見てもらいますか。
見てもらう人は、まず家族が多いようです。妻は夫に、そして夫は妻に。連れあいが特に短歌を詠んでいなくても、鑑賞や批評はある程度できるものです。
夫婦ともに歌を詠んでいるといいでしょう。しかし、夫婦ともに歌人で、相手に決して作品を見せない人たちもいますね。
確かに誰かに自作を読んでもらうことはそれなりの意義がありますが、その誰かは「もう1人の自分」という読者が最高なのかもしれません。
※他の短歌に関する記事はこちら。
伊藤一彦(いとう・かずひこ)先生
宮崎市生まれ。歌人。NHK全国短歌大会選考委員。歌誌『心の花』の選者。撮影/吉澤広哉