石川啄木の歌を愛読した人は多いでしょう。啄木の名前を聞いただけで口をついて出てくる短歌があると思います。
東海(とうかい)の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
『一握の砂』
例えばこの歌です。「東海の小島」は日本のことですが、意味よりも「の」の3つの重なりが快く、「泣きぬれて」という表現に若い時は特に惹かれるものです。私もそうでした。啄木は読者の心を引きつける歌い方を十分に知っている人でした。
たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず
『一握の砂』
この歌も有名ですね。やはり「泣きて」の語があります。涙を誘われる読者もいるでしょうが、演技的で嘘っぽいと感じる読者もいるでしょう。いずれにせよ、啄木ワールドに引き込まれます。作家の故・井上ひさし氏は、かつて「啄木は、日本史の上で五指に入る、日本語の、言葉の使い手です」と述べています(『国文学・解釈と鑑賞2004年2月号)。ちなみに、井上ひさし氏も天才的な言葉の使い手でした。
啄木は1886(明治19)年岩手県に生まれました。学んでいた盛岡中学校を中退した後、上京して本格的に文学の道に生きようとしますが、挫折を味わいます。その後、北海道にも渡ります。
函館の青柳町(あをやぎちゃう)こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花
しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
同じく『一握(いちあく)の砂』からの歌で、地名が生きていますね。
啄木は北海道を去り、再び東京に向かい、自分の人生の夢を実現しようとしますが、1912(明治45)年に病気のため26歳で世を去ります。啄木の最期を看取った若山牧水は次のように歌っています。
初夏(はつなつ)の曇りの底に桜咲き居り
おとろへはてて
君死ににけり
『死か芸術か』
<歌始入門>
石川啄木の有名な歌論に『一利己主義者と友人との対話』があります。その中の一節を紹介
します。「一生に二度とは帰つて来ないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい。ただ逃がしてやりたくない。それを現すには、形が小さくて、手間暇のいらない歌が一番便利なのだ」「歌といふ詩形を持つてるといふことは、我我日本人の少ししか持たない幸福のうちの一つだよ」。長くなりましたが、噛みしめるべき言葉だと思います。
啄木がいうほど「手間暇」がかからないということはないのですが、そこがまた魅力です。日ごろの暮らしの中に、ぜひ歌を取り入れたいものです。
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伊藤一彦(いとう・かずひこ)先生
1943年、宮崎市生まれ。歌人。NHK全国短歌大会選考委員。歌誌『心の花』の選者。撮影/吉澤広哉