宮崎市に住む俵万智さんが新刊の『牧水の恋』を出版したのを記念して、地元の宮崎日日新聞社が「恋」を題材に短歌を募集しました。若い人からご高齢の方まで幅広く応募がありました。その一部をご紹介します。
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進路予想不可能
恋の台風はぎゆいんと曲がり
君へと向かう
鬼束美佐子
今年の台風は逆走したり思わぬ方向に進みましたが、「恋の台風」もどこに向かうのか分からないというのです。この歌の作者は、自分でも思わざる相手に恋したのでしょう。「ぎゆいんと曲がり」が面白いですね。
もの言はず
サザンを聴きしあの夏の
助手席しろくま靴擦れの痕
山田幸子
忘れられない夏の日のデートの思い出です。二人でドライブし、しろくま(氷菓)を食べ、そして靴擦れができるまで長く歩いたのでしょう。初句から結句まで、どの句をとっても表現が具体的なのがいいですね。
長靴で全力疾走するような
恋する娘の
フレアスカート
門田祥子
母親から見れば、娘の恋は「長靴で全力疾走」しているように見えるかもしれません。当の娘さんはスニーカーで走っているくらいのつもりなのでしょうが。この喩えには愛情が感じられます。母親自身もかつてはそんな恋をしたのでは。
下宿屋の歓迎会に出会ひにし
人と暮らせり
四十年(よそとせ)あまり
長嶺恭子
偶然の出会いが運命の出会いになった幸福感が静かにしっかりと伝わってきます。最後にご高齢の男性の歌を紹介します。
女人恋う老いの純情青くさし
あの世でしっかり
大人になろう
鶴田繁
<伊藤先生の今月の徒然紀行4>
短歌はもともと声に出して歌われたものでした。『万葉集』の時代、宴席などで短歌はよく歌われたようです。宴席で盛り上がったのは、やはり恋の歌でしょう。
家にありし櫃(ひつ)に(かぎ)刺し
蔵(おさ)めてし恋の奴(やっこ)が
つかみかかりて
穂積皇子(ほづみのみこ)
天武天皇の皇子であった穂積皇子は酒宴の席でこの歌をよく口ずさんで座興としたそうです。蓋つきの箱に鍵をかけて蔵(しま)っていた恋の奴が飛び出してきて私につかみかかって...の意味です。宴の場にいた人たちは喜んだことでしょう。この穂積皇子と恋仲だったのは但馬皇女(たじまのひめのみこ)です。二人の恋は当時うわさになっていたようですが、彼女に一途に恋し歌いました。