転移の告知後、妻が僕の目を見つめて言ったこと。/僕のコーチはがんの妻(7)

夫婦で穏やかな老後を過ごすと疑わなかった...。50代の夫婦を突然襲った「妻のがん」。子供のいない2人暮らし、家事のできない夫に、がんの妻が「鬼コーチ」と化して料理特訓を始めて...。WEB連載で33万人が笑い、そして涙した「家族の実話」を、藤井さんの著書『僕のコーチはがんの妻』(KADOKAWA)より第2章の途中(全6章)までを抜粋、7日間連続でお届けします。

僕のコーチはがんの妻_007.jpg妻は自分をサルに見立てて漫画を描いていた。玲子サルで「レイザル」と自称するようになった=2012年

肝臓にも転移。イワシの梅煮に見た妻の覚悟

2018年正月、目を覚ますと妻は僕のふとんに入ってきて「おめでとう。今年もよろしく」と言った。

免疫力をつけるため、正月は大阪市内を歩きまわった。

JR鶴橋駅周辺のコリアンタウンを歩いていると、チヂミが並ぶ食堂に妻は吸い寄せられ、チヂミやキムパ(のり巻き)をほおばった。

近くの店ではヒマワリの種やシナモンの入った饅頭を焼いている。

さらにはキムチ、トッポギ......次々と買い食いする。

「アカン、私はダボハゼや。食欲が止まらん!」

1月11日、気の重い診察日。病院の診察室に入ると主治医は深刻な顔をしている。

「残念ながら、転移でした」

「3カ所とも、ですか?」

「そうです」

妻は背筋をシュッと伸ばして聞いていたが、診察室を出ると堰を切ったようにしゃべりはじめた。

「お母さんより早く死んだら割に合わんわ。養老保険があと6年で満期だから、自分で使うんや。......何も恩返ししてあげられなくて、ミツルこそ割に合わんなあ」

「食事に気をつかって、毎日1万歩歩いて、甘いものはやめていたけど、こんな早く転移するなら意味なかった。もう好き放題食べるわ。昼ごはんは帝国ホテルでオムライスや」

僕も涙をこらえるので必死だ。

「せやな」としか言えない。

この後、「大阪国際がんセンター」に転院した。

新たに主治医になった腫瘍皮膚科のI医師は悪性黒色腫の治療では全国で知られている。

白髪交じりのやさしそうな人だった。

緊張する妻に、おだやかな語り口で今後の方針を説明してくれた。

夏か秋には、免疫チェックポイント阻害薬であるオプジーボと分子標的薬を転移予防に使えるようになる。

その治療を有効にするためにも、手術で腫瘍の周囲のリンパ節を広く切除し、がんの量をできるだけ減らす、と言う。

「左右両側のリンパ節を同時に広く取りのぞくのは怖がる病院も多いけど、ここは西日本で一番うまい先生がいますから」と付け加えた。

ちょっと前向きになると同時に、リンパ節を取りのぞくことによる副作用が不安になった。

診察室を出ると妻は、「I先生、バカボンパパに似てるね。きびしそうな人じゃなくてよかった」と言った。

2月になってリンパ節郭清手術の説明を聞くため、頭頸部外科を受診した。

午前11時の予約だったが1時間以上経ってもはじまらない。

「おなかすいたぁ。きつねうどん食べたい。おあげさんは分厚いのより、薄くって安っぽくて甘いのがええねん」 

妻が不安を忘れるかのようにしゃべっているうちに呼ばれた。

「頭や頸のリンパには問題がありませんでした」と医師。

「には」ということは、ほかに何かが見つかったのだ。

顔面から血の気が引いていく。

「実は肝臓に大きな影がふたつある。ほかにもいくつかあるかもしれない。黒色腫の転移がこんな形にうつることが多い。リンパではなく血液にのって転移したと考えられるため、手術ではなく、早く全身的な治療をした方がよいということになりました」

妻は背筋を伸ばして「わかりました。ありがとうございます」と答えた。

僕は動転して言葉が出てこなかった。

帰宅すると妻は僕の目を見つめて言った。

「20年、私は幸せだったと思う。結婚20年は来年やけど、ちょっと早めに帝国ホテルで写真撮ろうよ」

アカン、我慢できない。

トイレに入って涙をぬぐって鼻をすすって心を落ち着かせた。

「俺はいつもこんな服装やで。記念写真でもいっしょや」

部屋にもどって僕が言うと、

「スーツ着ろとは言わんけど、そのズボン、2週間かえてへんやんか」

「まだにおわんし、2週間も経ってへんと思うけどなぁ」と口ごもると、

「アカンものはアカン。今すぐ着替え!」 

妻による料理教室がはじまって4カ月間、「オマエに魚料理させたら台所が臭くなる」と魚はあつかわなかった。

ところが1月になって、ブリ大根やタイのアラ煮を立てつづけにつくった。

どれも僕の大好物だ。

2月のはじめには「イワシの梅煮をつくってみ」と言う。

「臭くなるからまな板と包丁は使うな。魚はポリ袋のなかでさばくこと」

エラから指を入れて頭をはずし、はらわたをかきだすと、

「力を入れ過ぎたら身がくずれる!」 

流水で腹の内部を洗おうとしたら、

「あーあ、うまみが流れてまう」

背後からの声にびくつきながらイワシと格闘した。

さばいたイワシは小型フライパンで、梅干しとしょうがといっしょに火にかけた。

梅干しとしょうががイワシの臭みを打ち消して、脂の甘みを堪能できる。

熱燗にぴったりのおかずになった。

料理の教えを乞うたのは妻の負担を減らすためだった。

でも妻は、自らの死後を考えて家事をたたきこもうとしていた。

煮魚を必死に教える姿を見て、その覚悟に気づかされた。

イラスト/藤井玲子

【次のエピソード】後から「幸せだった」と思うんだろうな...。がんの妻と過ごす時間/僕のコーチはがんの妻(8)

【最初から読む】「イボやなくてメラノーマ(悪性黒色腫)やて」妻から届いた1通のメール/僕のコーチはがんの妻(1)

【まとめ読み】「僕のコーチはがんの妻」記事リスト

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6章に渡って綴られる「家族の愛の実話」。巻末には著者に妻が教えてくれた「23のレシピ集」も収録

夫婦で穏やかな老後を過ごすと疑わなかった...。50代の夫婦を突然襲った「妻のがん」。子供のいない2人暮らし、家事のできない夫に、がんの妻が「鬼コーチ」と化して料理特訓を始めて...。WEB連載で33万人が笑い、そして涙した「家族の実話」を、藤井さんの著書『僕のコーチはがんの妻』(KADOKAWA)より第2章の途中(全6章)までを抜粋、7日間連続でお届けします。

僕のコーチはがんの妻_007.jpg妻は自分をサルに見立てて漫画を描いていた。玲子サルで「レイザル」と自称するようになった=2012年

肝臓にも転移。イワシの梅煮に見た妻の覚悟

2018年正月、目を覚ますと妻は僕のふとんに入ってきて「おめでとう。今年もよろしく」と言った。

免疫力をつけるため、正月は大阪市内を歩きまわった。

JR鶴橋駅周辺のコリアンタウンを歩いていると、チヂミが並ぶ食堂に妻は吸い寄せられ、チヂミやキムパ(のり巻き)をほおばった。

近くの店ではヒマワリの種やシナモンの入った饅頭を焼いている。

さらにはキムチ、トッポギ......次々と買い食いする。

「アカン、私はダボハゼや。食欲が止まらん!」

1月11日、気の重い診察日。病院の診察室に入ると主治医は深刻な顔をしている。

「残念ながら、転移でした」

「3カ所とも、ですか?」

「そうです」

妻は背筋をシュッと伸ばして聞いていたが、診察室を出ると堰を切ったようにしゃべりはじめた。

「お母さんより早く死んだら割に合わんわ。養老保険があと6年で満期だから、自分で使うんや。......何も恩返ししてあげられなくて、ミツルこそ割に合わんなあ」

「食事に気をつかって、毎日1万歩歩いて、甘いものはやめていたけど、こんな早く転移するなら意味なかった。もう好き放題食べるわ。昼ごはんは帝国ホテルでオムライスや」

僕も涙をこらえるので必死だ。

「せやな」としか言えない。

この後、「大阪国際がんセンター」に転院した。

新たに主治医になった腫瘍皮膚科のI医師は悪性黒色腫の治療では全国で知られている。

白髪交じりのやさしそうな人だった。

緊張する妻に、おだやかな語り口で今後の方針を説明してくれた。

夏か秋には、免疫チェックポイント阻害薬であるオプジーボと分子標的薬を転移予防に使えるようになる。

その治療を有効にするためにも、手術で腫瘍の周囲のリンパ節を広く切除し、がんの量をできるだけ減らす、と言う。

「左右両側のリンパ節を同時に広く取りのぞくのは怖がる病院も多いけど、ここは西日本で一番うまい先生がいますから」と付け加えた。

ちょっと前向きになると同時に、リンパ節を取りのぞくことによる副作用が不安になった。

診察室を出ると妻は、「I先生、バカボンパパに似てるね。きびしそうな人じゃなくてよかった」と言った。

2月になってリンパ節郭清手術の説明を聞くため、頭頸部外科を受診した。

午前11時の予約だったが1時間以上経ってもはじまらない。

「おなかすいたぁ。きつねうどん食べたい。おあげさんは分厚いのより、薄くって安っぽくて甘いのがええねん」 

妻が不安を忘れるかのようにしゃべっているうちに呼ばれた。

「頭や頸のリンパには問題がありませんでした」と医師。

「には」ということは、ほかに何かが見つかったのだ。

顔面から血の気が引いていく。

「実は肝臓に大きな影がふたつある。ほかにもいくつかあるかもしれない。黒色腫の転移がこんな形にうつることが多い。リンパではなく血液にのって転移したと考えられるため、手術ではなく、早く全身的な治療をした方がよいということになりました」

妻は背筋を伸ばして「わかりました。ありがとうございます」と答えた。

僕は動転して言葉が出てこなかった。

帰宅すると妻は僕の目を見つめて言った。

「20年、私は幸せだったと思う。結婚20年は来年やけど、ちょっと早めに帝国ホテルで写真撮ろうよ」

アカン、我慢できない。

トイレに入って涙をぬぐって鼻をすすって心を落ち着かせた。

「俺はいつもこんな服装やで。記念写真でもいっしょや」

部屋にもどって僕が言うと、

「スーツ着ろとは言わんけど、そのズボン、2週間かえてへんやんか」

「まだにおわんし、2週間も経ってへんと思うけどなぁ」と口ごもると、

「アカンものはアカン。今すぐ着替え!」 

妻による料理教室がはじまって4カ月間、「オマエに魚料理させたら台所が臭くなる」と魚はあつかわなかった。

ところが1月になって、ブリ大根やタイのアラ煮を立てつづけにつくった。

どれも僕の大好物だ。

2月のはじめには「イワシの梅煮をつくってみ」と言う。

「臭くなるからまな板と包丁は使うな。魚はポリ袋のなかでさばくこと」

エラから指を入れて頭をはずし、はらわたをかきだすと、

「力を入れ過ぎたら身がくずれる!」 

流水で腹の内部を洗おうとしたら、

「あーあ、うまみが流れてまう」

背後からの声にびくつきながらイワシと格闘した。

さばいたイワシは小型フライパンで、梅干しとしょうがといっしょに火にかけた。

梅干しとしょうががイワシの臭みを打ち消して、脂の甘みを堪能できる。

熱燗にぴったりのおかずになった。

料理の教えを乞うたのは妻の負担を減らすためだった。

でも妻は、自らの死後を考えて家事をたたきこもうとしていた。

煮魚を必死に教える姿を見て、その覚悟に気づかされた。

イラスト/藤井玲子

【次のエピソード】後から「幸せだった」と思うんだろうな...。がんの妻と過ごす時間/僕のコーチはがんの妻(8)

【最初から読む】「イボやなくてメラノーマ(悪性黒色腫)やて」妻から届いた1通のメール/僕のコーチはがんの妻(1)

【まとめ読み】「僕のコーチはがんの妻」記事リスト

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6章に渡って綴られる「家族の愛の実話」。巻末には著者に妻が教えてくれた「23のレシピ集」も収録

 

藤井満(ふじい・みつる)
1966年、東京都葛飾区生まれ。1990年朝日新聞に入社。静岡・愛媛・京都・大阪・島根・石川・和歌山・富山に勤務し、2020年1月に退社。著書に『北陸の海辺自転車紀行』(2016年、あっぷる出版社)、『能登の里人ものがたり』(2015年、アットワークス)、『石鎚を守った男』(2006年、創風社出版)など。

藤井玲子(ふじい・れいこ)
1967年、兵庫県生まれ。商社OL時代にマウスを使った落書きを覚える。1999年に藤井満と結婚し、退職後、落書きをのせるホームページ「週刊レイザル新聞」を創刊。2018年永眠。

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『僕のコーチはがんの妻』

(藤井満/KADOKAWA)

50代夫婦、子どものいない2人暮らし。妻が末期がんになったら、家事も料理もできない夫はどう生きればよいのか? 妻がメラノーマ(悪性黒色腫)というがんであると診断されたのをきっかけに、著者は夫婦2人で料理を猛特訓。それは、妻からの最後の贈り物でした。朝日新聞デジタルの連載で33万人が感動した、大切な人と読みたい家族の愛の実話です。

※この記事は『僕のコーチはがんの妻』(藤井満/KADOKAWA) からの抜粋です。

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