夫婦で穏やかな老後を過ごすと疑わなかった...。50代の夫婦を突然襲った「妻のがん」。子供のいない2人暮らし、家事のできない夫に、がんの妻が「鬼コーチ」と化して料理特訓を始めて...。WEB連載で33万人が笑い、そして涙した「家族の実話」を、藤井さんの著書『僕のコーチはがんの妻』(KADOKAWA)より第2章の途中(全6章)までを抜粋、7日間連続でお届けします。
「ダイエットする」と言ってしばしばサイクリングをしたが、そのたびに甘い物を食べるからやせなかった=2009年
転移におびえつつ日々はたんたんと。煮こんだセロリは異郷の味
悪性黒色腫(メラノーマ)の手術後は転移予防のためにインターフェロンを定期的に注射するというのが、従来の治療法。
だが、最近の研究では効果があるかどうか微妙らしく、「どちらでもかまいません」と主治医は言う。
副作用はないし、月1度注射のために受診すると安心できるから、お守りがわりに注射を受けることにした。
悪性黒色腫はとりわけ免疫力に左右されるという。
まれに自然治癒してしまう例もあるらしい。
免疫力を上げるため、野菜や玄米をたっぷり食べ、糖分はひかえめにすることに。
妻の誕生日プレゼントとして米国製の高級ミキサーを買った。
リンゴやにんじん、小松菜や夏みかんをこなごなにくだき、なめらかなスムージーをつくって毎朝飲むことにした。
さらに、毎日1万歩、いっしょに歩いた。
9月上旬、3泊4日で信州旅行に出かけた。
「たんなる旅行ちゃうで。鬼コーチの強化合宿や!」と妻は張り切っている。
長野県安曇野の市のJR穂高駅で自転車を借りてワサビ田がひろがる里をサイクリングした。
道の駅で野菜や果物をたっぷり買いこみ、宿のキッチンで自炊した。
3泊目は2人で何度も訪れた蓼科山麓へ。
直売所にははちきれそうに元気なセロリがたっぷり。
いかにも体によさそうだ。
「カンボジアにはセロリとトマトの鍋があるらしいで」と僕が言うと、
「そのアイデアいただきや!」
妻は胸をたたき、セロリとトマト、ズッキーニ、地鶏などを買いこんだ。
僕がキッチンに立つと「教えてやるからつくってみ」と背後で仁王立ちになった。
「火の通りが均等になるように、セロリとズッキーニはほぼ同じ大きさに切るんや」
僕がセロリの葉も同じ大きさにきざもうとすると、
「頭を使え!葉は火の通りが早いから大きめや」
野菜や肉に火が通り、最後にみそとしょうゆで味をつけようとしたら、
「ストーップ!」
「エッ?」
ビクッとして振り返ると、
「失敗したらもったいないから、あとは私がやる」
トマトの酸味とセロリの香りが鶏の脂のうまみになじんで、地元のワインがあっという間に空いてしまった。
「どや、大満足の味やろ?みそを使うのがコツや」と妻は自画自賛した。
転移におびえることをのぞけば健康そのものだ。
信州から帰宅した後も、パートに通い、休みの日はいっしょに街を歩いた。
日々はたんたんとすぎていく。
「昔の写真、見てみたいなあ」と妻が言うから、結婚前年の1998年以来の写真をフォトブックにまとめることにした。
パソコンで作業をしている僕の横に、妻は時折座りこんで画面をながめている。
そんなとき、妻の病気を知った友人から箱いっぱいのブドウが届いた。
ベリーA、ロザリオビアンコ、ピオーネ、ゴルビー......。
「すごーい。宝石みたい。こんなブドウだらけなんてはじめて!」
妻はさっそく口に運ぶ。
「甘くてむせる。むせるほど甘い!」
「味わわずにツルッとゴクンとのんじゃう!」
涙が出るほど笑いながら、2人でブドウをむさぼりつづけた。
(つづく)
イラスト/藤井玲子
【次のエピソード】思い出の土地への夫婦旅行。帰りの車中、友を思い「しゃくりあげた妻」/僕のコーチはがんの妻(4)
6章に渡って綴られる「家族の愛の実話」。巻末には著者に妻が教えてくれた「23のレシピ集」も収録