全く未知の世界へ...。70歳で介護施設に就職した元医師が考える「70代からの生き方」

超高齢社会の日本では「介護」は誰にとっても他人事ではありません。でも「介護施設」はどんなところかわからず、不安に思う人も多いと思います。そこで、医師として長年医療現場に従事し、現在は介護施設長として働く川村隆枝さんの著書『70歳の新人施設長が見た 介護施設で本当にあったとても素敵な話』(アスコム)より、介護士と入所者との間に起こった、泣ける、笑えるエピソードをご紹介します。

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新しい人と出会い、楽しい関係を作る

時間というものは、残酷です。

どんな人がどのように過ごしても、平等に容赦なく過ぎていきます。

大切なのはどの時間、どんな時間が一番肝心かということ。

定年退職した人が痛切に感じるのは、仕事がないことの喪失感だといいます。

現役時代、高い地位にいた人ほどその喪失感は強い。

私自身も部長の役職を退いたとき、重圧感から解放されてほっとした反面、一抹の寂しさを感じたものでした。

若さには絶対に勝てないことも痛感しました。

自分が教えてきた後輩たちの技術や行動は、もはや自分を超えていたからです。

その活気ある姿を見るにつけ、うれしいやら頼もしいやら、少々寂しさも感じながら安心して任せられると感じました。

以前、尊敬する教授の退任式に出席したことがありました。

「今後どうされるのですか? まだ十分力がおありなのに。定年退職はもったいないですね」

教授は、軽く笑って答えてくれました。

「いやいや、65歳で定年は的を射ているかもしれませんよ。後輩への指導力が衰えてきたような気がしますから。指導するためには人一倍勉強したり、画期的なアイデアを生み出したり、かなりエネルギーが要るのはあなたにも分かるでしょ。でも、年と共にやる気はあっても体がついていかなくなる。そう思い始めたら引退のときです。今後は違う方面で、自分らしく生きていこうと思います。だからね、これでいいんです」

今は、教授の言葉を理解できます。

部長の職を退く直前、私も全く同じ心境になっていましたから。

さて、そうなると70代からの生き方を全く違う視点から捉えなければいけない。

これまでの地位に固執しても意味がありません。

でも、組織の中にいる間はそれなりの地位にあった人が退職した途端、それまでちやほやしてくれた業者や関係者が会いに来なくなったとしょんぼりして、急に老け込む人の話が多々聞こえてきます。

それまでの人間関係は仕事による利害関係のなせるわざ。

本当のつながりではなかったと考えれば、当然の成り行きで腹も立たないはずなのに。

しょんぼりして老け込むよりも新しい場所に飛び込んで、新しい人と出会い、楽しい関係を作って出直したほうが楽しいと私は思います。

そんな楽しさを周りに教えていたのが、夫でした。

かつて上司だった教授が退任された後でした。

「ロータリークラブ(国際的な社会奉仕連合団体・国際ロータリーの単位クラブ)に紹介しようと思うんだ」

様々なイベントや個人的なゴルフ、会食に誘って親しい間柄になっていったのです。

でも、夫は「教授だからといって、ご機嫌を取るのは嫌いだ!」と現役時代の教授には見向きもしていませんでした。

「誰だって、引退したらただの人なんだよ。それまでの取り巻きはいなくなる。これから寂しい思いをするだろうな」

そう言って、すぐに積極的に誘い始めたわけです。

本当の人のつながりが分かる心優しい人だったんだなとつくづく思います。

彼自身も、東京から故郷の盛岡に戻ったとき、幼馴染みや仕事仲間しか知人がいなかったそうです。

そこで、ある人の紹介からロータリークラブに入会して、あらゆる業種の方たちとつき合い、友人や知人の輪を広げていったことがよほどうれしく、心に残っていたのかもしれません。

私も彼の影響を受けて、女性のロータリー版である盛岡ゾンタクラブに入会しました。

彼と同じように様々な人と巡り合い、新たな生活を楽しんでいます。

人間は元来、孤独で寂しい生き物です。

だからこそ、人と交わることで新たな世界が開けてくるといえます。

70の手習い

私はどうしても仕事が生きがいだと思う人間です。

私にとって仕事はお金を得るためではなく(もちろん、それもありますよ)、生き続けるためのものだと考えています。

夫を亡くして絶望感に苛(さいな)まれたときも、仕事に助けられました。

仕事に集中している時間はほかのことを考えなくてもよかったからです。

その間は悲しさや辛さを頭の隅のほうに置いておくことができます。

でも、それは、私の場合。

「ほかのこと考えなくていい」「ネガティブな感情を頭の隅に追いやれる」と考えられるならば、私のように仕事に固執することはありません。

どんなことでもいいと思います。

ボランティア活動や趣味を通して、家の外に出る。

そこには必ず仲間がいます。

何気ない思いやりがうれしい瞬間もあります。

そういう出会いや時間を心から楽しめるのは、70代からの特権だと考えてください。

特に、ボランティア活動は人間性を高めながら社会貢献もできるので、自信につながり活力の源になります。

70代だからこその豊富な人生経験と磨き上げた知力を発揮できる場所は、まだまだたくさんあります。

一方で、まだ現役の人たちからはこんな声が聞こえてきます。

「65歳まで勤め上げれば楽になる。それまでは頑張ろう」

「あの人はいいな。定年を迎えて悠々自適に生活しているよ」

どう読んでも愚痴です。

私の夫もそうでした。

だから、何度も言っていたことがあります。

「仕事があるのは幸せなことだと思うわよ。そんなことを言う前に、まず感謝しないと。私は、ずっと仕事を続けていきたいと思っています」

その後、脳出血で左半身麻痺になり、言語障害になった夫は言いました。

「仕事がしたい。死ぬまで医師を続けたい」

彼の本音だったと思います。

何事も失ってみて、初めて気づくことは多いものです。

私にとって仕事は生きる糧です。

だから、私は新しい分野に挑戦することにしました。

介護施設への就職です。

私にとって全く未知の世界でした。

よちよち歩きの赤ちゃんのようです。

そこで自分に言い聞かせました。

今までどんな仕事をして、その道に習熟していても、今、目の前にある介護の分野は全く無知なんだと。

だから、友人や知人には驚きを持って言われます。

「次に選んだのが介護施設というのは意外でした」

「手術室での活動に比べたら、物足りなくないですか?」

そんなことはありません。

私の周りにいる全ての介護スタッフは先輩であり、先生という視点で見つめると学べることばかり。

介護施設という職場には暗い雰囲気をイメージしていましたが、スタッフは明るくハツラツとした人ばかり。

その姿はとても眩しく、私に大きな活力を与えてくれます。

だから、私は友人たちの言葉を笑い飛ばします。

「得ることはたくさんあるし、今まで見たことのない世界が広がってるのよ。70の手習いということね」

私のように定年を迎えて、新しい職場に向かう人に一つだけ忠告しておきます。

「以前の仕事は忘れてください」

新しい職場です。

あなたは新参者です。

そう自覚するだけで自ずと道は開けます。

利害関係のない本当のつながりも見えてきます。

70代に突入して、私にはもう一つ心がけていることがあります。

年相応の身だしなみです。

それはブランドや見栄えに目を向けることではありません。

大人の品格を備えるということです。

2019年、白寿(九九歳)を迎えた母に聞いたことがあります。

「どうしていつも元気で、肌も若々しいの?」

「その秘訣はね。年を数えないこと」

秘密を打ち明けた少女のように、母は照れながら笑っていました。

なるほど。

面白い考え方です。

母は90歳頃まで産婦人科医、内科医としての仕事を全うしてきました。

医師としても私の尊敬する先輩です。

「もっとすごい先輩の女医さんもいるのよ」

「もっとすごい?」

「聴診器を患者さんの胸に当てたまま往生されたの。医師としては本望よね。尊敬するわ」

母と言葉を交わしながら、やはり仕事は生きる糧だと実感しました。

私の望みは今の生活をできるだけ長く続けていくことです。

自分自身の足で歩き、両手で顔を洗い、好きな洋服を着て、友人とおしゃべりをする。

お風呂に入り、暖かい部屋で過ごす。

そして、できるだけ長く元気に仕事をする。

それがどんなに幸せで得がたいことであるかを実感しながら、私は明日も生きていきます。

【まとめ読み】『介護施設で本当にあったとても素敵な話』記事リストはこちら!

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元医師の介護施設長が実感した「介護施設の素敵な話」を全4章にわたって公開。介護や老後に関わる人にオススメ!

 

川村隆枝(かわむら・たかえ)
東京女子医科大学を卒業後、同医大産婦人科医局入局。1974年に夫の郷里である「岩手医科大学麻酔学教室」に入局し、同医大付属循環器医療センター麻酔科の助教授に就任。2005年に国立病院機構仙台医療センター麻酔科部長として活動後、2019年5月より岩手県滝沢市にある「老人介護保険施設 老健たきざわ」施設長に就任。

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『70歳の新人施設長が見た 介護施設で本当にあったとても素敵な話』

(川村隆枝/アスコム)

家族や親族のお世話を施設にお願いするとき、まだ罪の意識を覚える人も多いはず。あなたの介護施設のイメージは本当に正しいですか? 自身も夫を介護施設に預けて幸せな生活を送った元医師が、現在施設長として実体験している「介護施設であった素敵な話」を書き綴った良書。これからの高齢化社会に向け、「介護士とお年寄りの泣ける、笑えるエピソード」は参考になることが盛りだくさん。

※この記事は『70歳の新人施設長が見た 介護施設で本当にあったとても素敵な話』(川村隆枝/アスコム)からの抜粋です。

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