定年退職の後や年金受給の時期など、考えなければならないことが山ほどある「老後の暮らし」。哲学者・小川仁志さんは、これから訪れる「人生100年の時代」を楽しむには「時代に合わせて自分を変える必要がある」と言います。そんな小川さんの著書『人生100年時代の覚悟の決め方』(方丈社)から、老後を楽しく生きるためのヒントをご紹介。そろそろ「自分らしく生きること」について考えてみませんか?
加速主義では資本主義の行き詰まりを解消できない
奇しくも人生100年時代は、誰もが長い時間を生きる時代です。
無理に突っ走る必要はありません。
また、過剰に競争する必要もありません。
受験競争が激化したのは、みんなが一斉にスタートを切り、同じゴールに向かって走るという人生モデルしかなかったからです。
だから100メートル走の如く激しく競い合ったのです。
でも、人生100年時代はもっと長い道のりです。
しかも先の見えない山あり谷ありの道のりなのです。
途中で止まろうが、再スタートしようが自由です。
つまり競争とは無縁なのです。
今、思想の世界には加速主義と呼ばれる考え方が台頭しつつあります。
資本主義の行き詰まりを、なんと逆説的に資本主義を加速させることで解決しようという発想です。
どうやって加速させるかというと、テクノロジーによってです。
インターネットやAI(人工知能)を使って、より効率的にすれば、問題を解決することができるはずだというのです。
たとえば、AIが資本主義のもたらす格差を是正してくれるというように。
でも私には、それもまた無理をしたやり方に見えて仕方ありません。
日本社会が明確に加速主義に向かっているとまではいいませんが、昨今のAI導入の狂騒ぶりを見ていると、どうもそっちの方向に走っているのではないかと思えてならないのです。
だから私はこの加速主義をもじって、減速主義を唱えたいと思います。
また無理をするのではなく、今度こそは減速して、のんびり進むということです。
急いては事を仕損じるとはよくいったものです。
これに関連して、かつて私は、ポピュリズムに対抗するにはスローイムズが必要だと主張したことがあります。
個人は今日楽的に、社会は減速主義を
アメリカのトランプ大統領は、多様な意見に耳を貸さないポピュリズムの典型とされます。
そのトランプが大統領選に勝利した要因の一つに、フェイクニュースの存在が挙げられました。
人々ができるだけ早くニュースを知りたがる傾向にあることから生じた問題です。
よく事実を確認もせず、ネットのニュースを信じ込むのです。
これを受けて既存のテレビや新聞メディアは、ブレイキングニュースのような速報を出す姿勢を改め、事実をよく吟味したうえでニュースを報じるスローニュースという方針を掲げ始めました。
そうしたじっくりと事実を吟味する態度そのものを、私はスローイムズと呼んだのです。
減速主義は、このスローイムズをさらに敷衍(ふえん)して、もっと生きること自体を楽しむゆとりある物事の進め方を意味しています。
個人が「今日楽的に生きる」ために、社会は減速主義を原則とする。
それが今後私たちのとるべき方向性だと思うのです。
減速主義に基づけば、経済成長はもはや最優先事項ではなくなります。
今日本は世界第三位の経済大国です。
もうこれ以上、上を目指す必要などないでしょう。
それは発展途上国のやることです。
私たちは成熟国家になった事実を受入れ、一刻も早く無理するのをやめることです。
今の日本社会は、皮肉にも高齢になった体と同じで、高齢化している現実を受け入れられず、80歳になっても若い頃と同じように100メートルを全力で走ろうと無理をしているように見えて仕方ありません。
今、私たちは大きく価値観と発想を転換する必要に迫られているのです。
奇しくも日本が人生100年時代を迎えるのと時を同じくして、地球そのものもこれまでとはまったく違う状態に突入しようとしています。
先ほど高度経済成長が環境問題をもたらしたといいましたが、そのせいで大気や海洋が汚染され、地球が温暖化してしまいました。
その結果、地質学上「人新世(アントロポセン)」と呼ばれる段階に入ってしまったといわれています。
地球誕生以来、はじめて人間が自然に影響を与える時代になったということです。
しかも悪影響です。
もちろんこれは日本だけのせいではありませんが、経済大国日本がその裏で地球を破壊してきた事実は否めません。
その点でも、私たちは大きく発想を変える必要があるのです。
人新世は、今やさまざまな分野で人々に新たな発想を余儀なくしています。
これまで自明の前提とされてきた人間中心の考え方、発展ありきの考え方に疑問符が投げかけられているのです。
私の唱える減速主義は、そんな人新世と軌を一にしつつ、これからの時代を考えるうえでのキーワードになってくると思います。
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