人生の大転換期である「定年」。その後の暮らしが不安と言う方も少なくないでしょう。そんな人生の後半を楽しむためには、生活空間にあるあらゆるモノを点検し、先の人生を共にしたいモノを選び抜くことが重要だと「断捨離」の考案者・やましたひでこさんは言います。そこで、やましたさんの著書『定年後の断捨離~モノを減らして、愉快に生きる』(大和書房)から、「不要・不適・不快」を捨てて、「要・適・快」を招き入れられる「人生の断捨離」のヒントを連載形式でお届けします。
家と土地に縛られて、人生を重くしていませんか
昔は持ち家がすべて、家を持ってこそ一人前、という感覚がありました。
ところが今は、家じたいが「大きなお荷物」になっている時代に入っています。
この時代、家をどうするかということは、どう生きていくかということ。
大きな家のために自分の人生が重くなってしまっては切ないですからね。
たいてい家は一生ものという感覚で、自分が建てた家というものに執着があるため、家族が減ったあともそこを離れられません。
私が長く住んだ石川県小松市は、ご多分にもれず、住民は高齢化し、独居率のとても高いところです。
その多くが、ひとりでは持て余す大きさの一軒家に住み、長年ためこまれたモノたちの中で埋もれるように暮らしています。
モノが堆積していくことに対してもたいてい無自覚です。
なんとかしようと思っていないことも多く、たとえなんとかしようとしても身動きがとれません。
そう、モノに占居されて動く気すら起こらないのですね。
広すぎる家は、手入れが行き届きません。
まして広い庭があったら、季節ごとの草木の手入れも大変です。
また、広い家に住んでいると、モノを捨てなくても済むと思いこみ、どんどん家の中にためこんでいきます。
すると、モノの代謝が悪くなり、家は荒れてくるのです。
「子どもが巣立ったから、これを機にキレイにしよう」と心に決めても、使わない部屋の掃除は後まわしにしがち。
やがて掃除は生活する範囲内でいいやとあきらめ、開かずの間をつくっていく。
開かずの間にはさらにモノが押しこまれ、ゴミ置き場化していく。
これは、田舎の大きな家に限りません。
都会に住んでいても、狭いマンションの一室がゴミ置き場化している例はよくあります。
「コンパクトな家」が暮らしやすい
本来、家も「器」ですから、中身が小さくなったら、器を替えていいのです。
「家という器を替える」という発想が日本人にはありません。
アメリカは中古住宅にも価値があります。
自分たちでメンテナンスし、自分たち仕様に仕上げていく。
そして、売るときは少しでも高く売ろうとする。
家を替え、住む場所を替えることにフットワークが軽いのです。
日本は新築以外に価値はなく、中古住宅を売ろうとしても二束三文になってしまいます。
これが悲劇の始まりで、お年寄りが持て余すような大きすぎる家に住んでいます。
そして、モノも持て余してためこみ、空間も持て余しています。
大きすぎる家は光熱費もかかり、メンテナンスも難しいからです。
さらには、誰も住んでいない家、たとえば、親が亡くなって空き家になった家を手放さず持っている人もいます。
田舎の大きな庭のある一戸建ての場合、ときどき草取り、風通しをして、ただ維持しているのです。
なんのためにしているのか本人もわかっていません。
かといって家じたいに価値はなく、売ることもできません。
売ろうとすると家族・親戚に何か言われるのではないかと問題を先送りにしているのです。
主役は家でしょうか?自分でしょうか?今一度、考えてみる必要があります。
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