老老介護になったらどうしよう・・・高齢者介護先進国フランスに学ぶ「5つの介護の心」

歳を重ねるとともに増えていく、病気、孤独、お金などの不安...。世界共通の悩みと思いきや、「フランス人」は老いることを「人生の収穫期」と考えて、楽しく過ごしているそうです。外交官から仏修道会の介護ボランティアに転身した賀来弓月さんの著書『60歳からを楽しむ生き方 フランス人は老いを楽しむ』(文響社)から、フランス流の「人生を前向きにとらえる10のヒント」を連載形式でお届けします。

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老老介護をどう乗り越えるか

日本は高度に進んだ少子高齢化社会。多くの高齢者が自分自身だけでなく、長い間苦楽を共にしてきた伴侶の老いも感じながら生きています。すべての高齢者が老人ホームで介護を受けることができるわけではありませんので、日本では、高齢者が自宅で高齢の伴侶の介護をするという「老々介護」が増えているという現状があります。

フランスは、近代的な老人ホームが世界ではじめて誕生した国です。そんな高齢者介護の草分け的な存在であるフランスには、高齢者介護の優れた伝統(技法と心)があります。日本の方にも参考になると思いますので、高齢者に向きあうときの「介護の心」についてご紹介します。

1. 介護は「介護する人と介護される人が一緒に生きる」こと

修道会の老人ホームで働く修道女たちは、介護を「介護する人と介護される人が、一緒に生きるということだ」と捉えていました。つまり、介護は、障がいのある人に伴走しながら、一緒に生きるということなのです。

2. 高齢者に向き合う修道女の人間愛

高齢者に向き合う修道女たちの心は常に次の12の教えに支えられています。
(1)高齢者を人間として尊重する
(2)高齢者を理解する
(3)高齢者を心底から受け入れる
(4)高齢者に寛容な態度で接する
(5)高齢者の声に真剣に耳を傾ける
(6)高齢者のいうことを聞いて、自分自身を改めることができる広い心を持つ
(7)高齢者の信頼を得る
(8)高齢者をいつも優しいまなざしで見て、微笑しながら世話をする
(9)高齢者の言い分を聞いて、もう一度やり直す謙虚な心を持つ
(10)高齢者に誠意を持ってすべてのことをよく説明する
(11)高齢者に惜しみなく与える
(12)高齢者を常に許す寛大な心を持つ

これらの教えが意味するのは、深い人間愛と尊敬の心をもって高齢者を介護するということ。修道会の老人ホームでは、「介護の技術」以上に「介護の心」というものが重視されていました。介護を受ける高齢者は、孤独で常に人間愛を求めています。高齢者は、自分の人間としての尊厳が守られることを望んでいます。

修道会の老人ホームで私が経験した老々介護、実に大変な仕事でした。180cmを越える大柄な高齢者を支えるような重労働があったり、排泄の世話をしたりしました。また、認知症の周辺症状の悪化している高齢者から罵倒されたり暴力をふるわれたりすることもありました。

日本では、老々介護の過酷さに耐えかねて、体を壊し、命を縮めてしまう高齢者、精神的に追い詰められて、一緒に死ぬことまで考えてしまう高齢者が後を絶ちません。

しかし、私は老々介護に日夜奮闘している日本の高齢者仲間に申し上げたい。「ひとりで無理をせず、地方自治体やNGOや地域の援助を求めて下さい。精一杯の介護をしてください。そして、愛する伴侶に伴走する形で、一緒に生きてほしい」と。そうすれば、伴侶を最後に看取ったときに、「自分としてはできることをやりきった」という救われた気持ちになるに違いありません。

3. 人間愛に基づく介護「ユマニチュード」

「ユマニチュード」(Humanitude)」が、フランス発の認知症の高齢者の介護技法として日本で注目されています。技法は認知症患者の周辺症状の改善に効果があるとされています。ユマニチュードは1980年以降に生まれた新造語であり、「人間愛に基づく介護」と訳すことができるかと思います。この介護技法を集大成したのは、フランスの2人の体育教師であるとされています。

いずれにしても、ユマニチュードは、単なる「介護技法」ではなく、介護の「心」や「精神」を問うものです。これは、この修道会が19世紀半ばに創設されて以来、高齢者に向き合う修道女たちが当然のこととして行ってきたことなのです。その心とは、どんなものなのでしょうか。3つのポイントを指摘できると思います。

1つ目に、社会的弱者である高齢者たちを独立の人間としてその尊厳を大事にすること。年とともに、身体が不自由になったり、認知症を患ったりすることは、避けて通れません。その中で、人の手を借りなければ生活できなくなることもあるでしょう。相手がどんな状態になっても、最期まで独立の人間として尊敬することがユマニチュードの精神です。

2つ目に、高齢者たちに人間愛をもって接すること。優しい眼差し、優しい手つき、優しい心をもって、高齢者を介護します。

3つ目に、高齢者を寝たきりの状態にしないこと。寝たきりは、高齢者から生きる喜びを奪い、心身機能を劇的に低下させてしまいます。

こうしたユマニチュードの心は、「見る」「話す」「触れる」「立たせる」の具体的な行動により表現されます。

「見る」ことは、認知症の高齢者に向き合うときには、必ず顔の高さで相手の目を正面から優しくほほえみながらじっと見るという行動です。欧米人は話をする際に、かならず相手の目をじっと見ます。彼らは、目を見ることで、善意や友情を表現しようとします。自分の目を見ないで話をする相手には警戒をします。介護の世界でも、親愛の気持ちを伝えるのにアイコンタクトは非常に有効な手段なのです。

「話す」ことは、起き上がらせる、食事を口に運ぶなど高齢者のために何かをしようとするときには、そのことをあらかじめ優しく告げるということです。そして、相手の同意を得てから行動を起こすことが重要なのです。

「触れる」ことは、手や背中など相手の体の一部に優しく軽く触れることを指します。フランスをはじめとする欧米諸国などには、友愛の印としてハグや握手を頻繁に行う文化がありますから、親しみを込めた節度のある身体的接触の重要性はよく理解されているのです。つまり、何かをするときに、「必要に基づく接触」を「優しさのある接触」に変えるということ。

「立たせる」ことは、高齢者たちを寝たきりの状態にしないということ。寝たきりにさせてしまうと、身体機能の低下を招くだけでなく、外に出て自然を楽しんだり人との何気ない交流をしたりする機会を失ってしまいます。

ユマニチュードを介護の軸とすることで、これまで『作業』として行なわれてきた介護業務が「介護する人間と介護される人間の間の心を交わせる優しさの溢れたコミュニケーション」に変わっていくはずです。介護を受ける側の高齢者は、愛情表現に飢えています。ユマニチュードの「見る」「話す」「触れる」「立たせる」が優しい眼差し、優しい手つき、優しい心で実践されるならば、介護される高齢者の生きようとする意欲を高めるでしょう。

そして、「人に愛されている、人を愛している」と感じると、人は元気を取り戻していきます。フランスでは、こうした介護を受けて、心身機能をかなり向上させた高齢者を私は何度となく見てきました。

4. フランスの介護者の心を支える祈りの習慣

フランスの介護者も、特に認知症の高齢者を相手にしながら、苦労し、悩みます。修道会の老人ホームで働く修道女や介護職員とて例外ではありません。私自身もそうでしたが、老人ホームの医師や修道女から認知症に関する詳しい医学的知識を与えられてからは、相当楽になりました。

もうひとつ私が発見したことがあります。修道女であれ、介護職員であれ、フランスの介護者を精神的に支えているのは、日常的な祈りの習慣です。フランスの介護者は、介護をしているときに、何か問題が生じると、すぐに感情的に反応するのではなく、ひと呼吸おいて、祈り、そして平静さを取り戻そうとしていました。

介護で苦労されている人たちには、何か起きたときには心の中で神仏に助けを求めて祈る心の余裕を持つとよいかもしれません。そうすれば、神仏はおっしゃるでしょう。『よくやっている。これからも体に気をつけて最善を尽くすように』と。

特定の宗教を信じる或いは信じないに関係なく、「祈りのある日々」は人々の気持ちを救うのではないでしょうか。

介護にあたる修道女たちが常時どんな祈りを捧げていたのか、そのひとつを紹介しましょう。


生命の泉、あらゆる癒しの源である神よ、病める者に奉仕するわれら介護者を祝し、導きたまえ。

われわれすべての者が人生において闇の時と光の時を交互に過ごすことを忘れないようにしましょう。
そして、闇が降りたときにはお互いのためにわれわれがその光となりますように。
われわれ(介護者)の両手を優しさに溢れたものにしてください。
われわれ(介護者)の眼差しを柔らかなものにしてください。
われわれ(介護者)の心の窓を開いてください。
神の恩寵と愛と親切さがわれわれ(介護者)の両手と眼差しと心の窓を通じて、光り輝き出ますように。
われわれ(介護者)の心遣いが病める人たちの心身の癒しのための安全なよりどころになるようにしてください。
神よ、われわれ(介護者)を常にあなたの慈愛に満ちあふれた者に再生してください

出典:〈貧しい人々の小さな修道女たち〉修道会の『介護者の祈り』賀来訳


5. 苦しむ高齢者の中に神仏の姿を見る

修道女たちは「高齢者の中に神の姿を見ながら介護をする」とよくいっていました。これは修道会の創始者聖ジャンヌ・ジュガンの教えにもとづくものです。聖ジャンヌ・ジュガン(1792~1879)は次のようにいっています。「高齢者たちを良く介護しなさい。あなたたちが世話しているのは、高齢者の中におられる主イエス・キリスト(神の子)なのです」

路上生活者の救済に一生を捧げたフランスのピエール神父(1912~2007)は、同じことをつぎのような言葉で言っています。

「神は貧しい人々、弱い人々のひとりひとりの中に生きておられるのです。そうして、神は言われるのです。なぜ私を見捨てられたままにしておくのだ」と。

ちなみに、キリストは「おまえたちが最も苦しむ者にしたことは、私のためにしたことである」といっています(マタイ伝第25章40節)。日本では「死ぬと仏様になる」というぐらいですから、われわれ日本人にも苦しむ高齢者の中に神仏の姿を見ることは難しいことではないのかもしれません。

いずれにしても、日仏の間にはそれぞれの歴史の中で培われてきた精神文化や宗教観の違いはもちろんありますが、高齢者介護の心に関しては、「近代の老人ホームとユマニチュードの誕生したフランス」から学ぶことは多いのではないでしょうか。

フランス人に学べば老後は楽しくなる!『60歳からを楽しむ生き方』記事リストはこちら!

051-syoei-france.jpg「美しさとは何か」「オシャレの楽しみ方」「孤独の捉え方」など10の項目から、老いを楽しむフランス人の人生観が分かります

 

賀来弓月(かく・ゆづき)

1939年、愛知県生まれ。1960年外交官上級試験合格、61年名古屋大学法学部卒、外務省入省、英オックスフォード大学大学院留学(外務省在外上級研修員)。外務省退職後、清泉女子大学非常勤講師、NPO法人アジア近代化研究所特別顧問。主な著書に『内なるものと外なるものをー多文化時代の日本社会』(日本経済評論社)など。

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『60歳からを楽しむ生き方 フランス人は老いを楽しむ』

(賀来弓月/文響社)

年齢を重ねると孤独感や焦燥感、死への恐怖心にさいなまれる…。そんな不安を、フランス人が考える「老いの愛し方」で払拭してくれる一冊。フランスの高齢者がオシャレや食事をどう楽しんでいるのか、その生き方を見習えば、老いも光輝く人生の一部になるはず。

※この記事は『60歳からを楽しむ生き方 フランス人は老いを楽しむ』(賀来弓月/文響社)からの抜粋です。
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