哲学者・岸見一郎さんが語る「やりたいことを見つける」

生きること

問題は、すべての動きをこのように説明できるかということである。

アドラーは先の引用の中では、考えることも、感じることも、目標設定が必要な「動き」の一つにあげているが、別の箇所では次のようにいっている。

「人が生き、行為し、自分の立場を見出す方法は必ず目標の設定と結びついている」(『性格の心理学』)

アドラーは、生きることも線を引く喩(たと)えを使って説明しているが、これはキーネーシスの説明である。

アリストテレスは人間本来の動きのあり方は、キーネーシスではなく、「エネルゲイア」(現実活動態)であると考えている。エネルゲイアとしての動きにおいては、目的は行為の「内」に存在する。行為自体がそのまま行為の目標であるということである。それは常に完全で「どこからどこまで」という条件とも「どれだけの間に」ということにも関係がない。「なしつつある」ことが、そのまま「なしてしまった」ことである。例えば、ダンスは、踊ること自体が目的である。どこかに行くかという目標を定めて踊ったりしない。

それでは、生きることはキーネーシスか、エネルゲイアか。キーネーシスであれば、始点が誕生、終点が死であり、効率的に生きるとは、一日も早く死ぬことになる。生きることはエネルゲイアなのである。死は人生の到達点だが、死は生きることの目標ではない。「生きつつある」ことがそのまま「生きてしまった」ことになる。

目標は未来ではなく今にある

このように考えると、やりたいことがないことは大きな問題にはならない。むしろ、明確な目標があれば、それを達成するまでの人生が目標を達成するための準備期間として仮のものになる。また、その目標は必ずしも自分が選んだわけでなく、多くの人が無自覚に選んだものである。まわりが心配するのは、そのような目標がないと皆と違う人生を生きることになるのではないかと思うからである。

しかし、やりたいことを未来ではなく「今」見つけてもいいのではないか。何かのためではなく、今ここで夢中になれることがあれば、これから先のことを考える必要はなくなる。それがやりたいことである。

そんな生き方をしていれば、どこにも到達できないではないかと思う人がいるかもしれないが、先のことばかり考えて生きてみてもいつかやりたいと思っていたことを達成できるとは限らない。今を生きる人生に「道半ば」はない。

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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