「80年も生きていれば、得意なことはある」バリバリ働く80代店員の「考え方」/81歳の家電売り場店員

人生100年時代を元気に楽しく生きるには何が必要なのでしょうか? そのヒントをくれるのが、家電量販店ノジマの店頭で、週4日、制服を着てバリバリと働く81歳の熊谷恵美子さん。60歳定年、65歳まで再雇用というノジマの就業規定をどんどん延長して、80歳を超えてもなお現役で働き続けています。そこで今回は熊谷さんの著書『81歳の家電売り場店員。接客は天職です』より、イキイキと生きるヒントが詰まった彼女の生き方&暮らし方を一部抜粋で紹介します。

※本記事は熊谷 恵美子著の書籍『81歳の家電売り場店員。接客は天職です』から一部抜粋・編集しました。

【前回】子育て、介護を終えて「本当に自由」な今。好きな仕事で自分らしく楽しみたい!

「80年も生きていれば、得意なことはある」バリバリ働く80代店員の「考え方」/81歳の家電売り場店員 名称未設定-2.jpg

わからないことは若いスタッフにHELP!

得意なことを生かして仕事する

ノジマは家電専門店です。

新しい商品が次々に登場しますから勉強も必要ですし、専門知識がないとできない接客もあります。

たとえば、スマートフォン。

私も使っていますが、メールやLINEをよく使う程度で、詳しい機能について説明できる知識はありません。

そこで、スマホの購入や、インターネットに接続してスマホで遠隔操作ができる「スマート家電」に関する質問を受けたときは、すぐに詳しい説明ができるスタッフにインカムで連絡し、お客様をご案内するようにしています。

パソコンも仕事では使っています。

納品書伝票と照らし合わせながら品出しを行い、伝票の内容と合っているかどうかをパソコンに打ち込みます。

正直に言うと、パソコンに数字を打ち込むことはできるのですが、パソコンの画面を立ち上げるのが難しいので、「商品管理の画面にしてもらえますか」と、いつも若いスタッフに助けを求めています。

●自分で対応できないことは、すぐに他のスタッフに助けを求め、お客様にご迷惑をかけないようにする。

●不明点があるときには、必ず同僚に確認してトラブルを回避する。

迷惑をかけないように、この2点だけはいつも心に留めています。

その代わり、自分が得意な仕事は率先して手伝うようにしています。

誰にでも得意不得意はあるもの。

自分の得意を生かし、頼ったり、頼られたりしながら、みんなで力を合わせて仕事をしているときが働いていて一番楽しいと思える瞬間です。

自分が得意な仕事でもあり、店長をはじめスタッフからも褒めてもらえるのが、プレゼントの包装です。

小学生の頃から親戚の呉服店で店番をしていたので、自然に身についたのだと思います。

箱に入っていないものでも、筒状のものでも、手早くきれいに包む自信があります。

細かい作業が苦手なスタッフもいますから、「包装をお願いします」というお客様の声が聞こえたら、進んで手伝うようにしています。

クリスマスからお正月、こどもの日、母の日、父の日、敬老の日などのギフトシーズンや、入学祝い・就職祝いが飛ぶように売れる3月などは、プレゼント包装だけで相当な数です。

ときには、誕生祝いや還暦祝いの席で配るプレゼントを一度に20個、30個包装することもあります。

時間に追われ、必死で包装をすることもありますが、角がピシッとそろったきれいな包装ができるとお客様が喜んでくださるので、疲れも忘れてしまいます。

80年も生きていれば、人間、何かしら得意なことがあるものです。

それを生かして仕事ができているのは本当に幸せなことだなと、最近つくづく思うようになりました。

人を喜ばせるのが好き。
接客の原点はおせっかい精神

今回、この本を出版することになって取材を受け、気がついたことがありました。

「熊谷さんって、どんな人ですか?」という質問を受けたノジマの同僚が、こんな答えをしてくれたんです。

「熊谷さんは、人を喜ばせるのが好きな人。普段からそうなんです。だから仕事でも、お客様に喜んでもらおうと、ものすごく一生懸命に対応しますよね」

私とはノジマに入社する前から職場が同じで、15、16年一緒に働いている別府葉子さんの言葉です。

娘ほど年齢が離れていますが、そんなふうに見ていてくれたのはとても嬉しいことでした。

人を喜ばせたい......。

それは、私が子どもの頃からいつも考えてきたことでした。

なぜかというと、埼玉で生まれた私は、小学3年生のときに岩手の親戚に預けられ、怒られるばかりの毎日を過ごしてきたからです。

人を怒って、嫌な思いをさせても、いいことなんて一つもありません。

だから、私が言われて嫌だと思ったことは人には言いたくないし、人を怒ることもしたくないと思ってきました。

その代わりに、人のいいところを見つけ、人に喜んでもらえることをすれば、笑顔が広がり、「ありがとう」が広がり、みんなが幸せになっていきますよね。

岩手の親戚は呉服店兼洋品店を営んでいたので、小学生時代から店番をしていた私は、お客様の「ありがとう」にどれほど励まされたかわかりません。

辛いことがあっても、「ありがとう」のひと言で元気になれた。

接客の仕事をしたいと思ったのも、人に喜ばれ、自分も幸せになれる仕事だからです。

将来は人に喜んでもらえる接客の仕事がしたい。

高校を卒業したらこの家を出て、早く自立をしたい。

小学生の頃からそう思っていたのに、親戚の店に縛られて、20代半ばまでは外に働きに出るチャンスがありませんでした。

初めて外で働いたのは、当時普及し始めた家庭用編み機の使い方を教える「編み物講師」の仕事です。

初めて編み機を扱う方にはわかりやすく、編み機に慣れてきた方には上手に編むコツを教えたりと、お客様に合わせて自分で工夫をしながら教えていくのが楽しかったですね。

自分でデザインや模様を考えたオリジナル作品ができるわけですから、完成したときはどんなお客様も笑顔になります。

そんな瞬間が味わえるのは、やはり、人と接する仕事だからだと思います。

接客の仕事に本腰を入れたのは、子育てが終わってからです。

呉服店の正社員になり、44歳から15年働きました。

成人式の振袖をはじめ高価な商品を扱っていましたから、「お客様に喜んでいただくにはどうしたらいいか」をいつも考えていました。

考えることが楽しいんです。

私の接客の原点は、人を喜ばせたいというおせっかい精神。

そのことを、80歳過ぎて再認識しました。

原点を忘れず、これからもずっと、人を喜ばせることを大切にしながら生きていきたいと思います。

人を喜ばせることが、私の喜びですから。

 
※この記事は『81歳の家電売り場店員。接客は天職です』(熊谷 恵美子/KADOKAWA)からの抜粋です。

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