認知症の夫を7年介護。それでも私が「仕事」を辞めなかった理由は.../81歳の家電売り場店員

人生100年時代を元気に楽しく生きるには何が必要なのでしょうか? そのヒントをくれるのが、家電量販店ノジマの店頭で、週4日、制服を着てバリバリと働く81歳の熊谷恵美子さん。60歳定年、65歳まで再雇用というノジマの就業規定をどんどん延長して、80歳を超えてもなお現役で働き続けています。そこで今回は熊谷さんの著書『81歳の家電売り場店員。接客は天職です』より、イキイキと生きるヒントが詰まった彼女の生き方&暮らし方を一部抜粋で紹介します。

※本記事は熊谷 恵美子著の書籍『81歳の家電売り場店員。接客は天職です』から一部抜粋・編集しました。

【前回】「80年も生きていれば、得意なことはある」バリバリ働く80代店員の「考え方」

認知症の夫を7年介護。それでも私が「仕事」を辞めなかった理由は.../81歳の家電売り場店員 名称未設定-3.jpg

認知症の夫の介護を7年。

仕事は続けたほうがいいと、医師や同僚に励まされ

夫が認知症を発症したのは72歳。

私が68歳のときでした。

夫婦一緒にインフルエンザのワクチン接種に行き、問診をしてくださったお医者様から、「ご主人の言動が気になるので、認知症の検査をしたほうがいいですよ」と言われたことが、長い戦いの始まりでした。

当時、すでに仕事を辞めていた夫は、毎日テレビを観ながら何をするでもなく過ごしていました。

一方の私は、ノジマで週5日仕事をしながら忙しくしていたので、顔を合わせて会話をするのは食事のときくらいでした。

もともと無口な夫は、「うん」とか「あぁ」しか言わなかったので、言動の変化にも気づきませんでした。

まさか認知症が進行していたなんて、思いもよらないことでした。

病名は、アルツハイマー型認知症。

「72歳での発症は早いですが......」と言われ、「この先どうなるの!?」と目の前が真っ暗になりました。

最初のうちは自分が話したことを忘れてしまう程度でしたが、そのうち頻繁にガスコンロを消し忘れるようになりました。

私が仕事から帰ってくると、お味噌汁の焦げた匂いが家中に漂い、真っ黒な鍋が転がっています。

火事を出したら大変なことになりますから、まず、焦げたら止まるガスコンロを買い、石油ストーブもオイルヒーターに買い替えました。

注意をするとカッとなり、物を蹴り、投げつけるので、石油ストーブ1台とオイルヒーター2台が壊れて廃品になりました。

怒ることもなく、自分の意見を押し付けるようなこともなかった夫が、まったく別人のようになって怒鳴り、物を壊すようになってからは、「とてもではないけれど、介護をしながら仕事は続けられない」と思うようになりました。

そんな私を救ってくれたのが、かかりつけ医の言葉です。

「介護だけしていたら自分が疲れ切ってしまうから、まわりの力を借りて仕事を続けたほうがいいですよ」

女性のお医者様で話しやすいということもありますが、自分の気持ちを吐き出し、受け止めてもらえたことで、真っ暗だった未来に光が差した感じでした。

「主人が認知症で......」と言い出すのは気が引けるところがありましたが、正直に話してみると、近所の人も職場の人たちも励まし、助けてくれました。

そして、話を聞いてもらうだけで、自分もラクになりました。

当時のノジマの店長にも、「主人が......」と話すと、「親御さんの介護をしている従業員もいるので大丈夫ですよ」と気持ちよく受け入れてもらえました。

ノジマを辞めて10か月後に復帰したときは、勤務を2時間短くして15時までにしてもらい、休日の調整をしていただくなど、介護が終わるまで助けてもらえたことは、本当にありがたかったですね。

介護のために仕事を辞める人もいるでしょう。

でも私は、仕事という自分の居場所があったから、7年間も介護ができた。

一日中家にいて、認知症が進行していく夫の介護だけをしていたら、途中でギブアップしていたと思います。

認知症の介護は、平均7、8年だと言われます。

長いです。

高齢者がますます増えていく日本で、介護をしながら仕事を続けられる、働きやすい会社が増えてくれるといいと思っています。

 
※この記事は『81歳の家電売り場店員。接客は天職です』(熊谷 恵美子/KADOKAWA)からの抜粋です。

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