2016年9月、医師から「肺がんステージ4」という突然の告知を受けた刀根 健さん。当時50歳の彼が「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試してもがき続ける姿に......感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)。31章までの「連日配信」が大好評だったことから、今回さらに公開するエピソードを延長。第一部のラストまでを特別公開します!
そして......
南伊勢から帰ってきた翌日の7月19日、再び東大病院へ行き、全身のCT撮影と血液検査を行なった。
そして翌日20日、妻と2人で検査結果を聞きに行った。
外来の井上先生は僕を見て言った。
「長い入院、お疲れ様でした。体調はいかがですか?」
「はい、ずいぶんと元気になりました。退院してから南伊勢に1週間ほど行きまして、自然の中で療養してました」
「ほう、それは活動的ですね」
「野生のイノシシとかも見ましたよ」
「へえー、野生ですか、すごいですね」
「ええ、そのおかげか、ホントに元気になりました」
「それはよかったです。えーっと、今日はいいお知らせと悪いお知らせがあります。どちらから聞きますか?」
「では、悪いほうからお願いします」
「はい、血液検査の結果なのですが、肝臓の働きを表す二つの数値、ASTとALTがともに基準を大きくオーバーしています。おそらくアレセンサの副作用だと思われます」
ASTは基準値が13〜30のところ109、ALTは基準値が10〜42のところ188と大幅に上回っていた。
「せっかくお薬の効果が出ていて残念なんですが、このままこのお薬を飲み続けると肝臓に負担がかかって、思わぬ症状が出る可能性があります」
「はい」
「ここは1週間ほどアレセンサを止めて、肝臓の数値が元に戻るか見てみたいと思うのですが、いかがでしょうか?」
「はい、全然問題ありません」
僕はもう、アレセンサなしでも治ってしまうような気がしていた。
「では、次回は1週間後に診察を行ないますので、今日から休薬して来週の数値を見て判断しましょう」
「はい、では、いいお知らせのほうを」
「はい、昨日のCTの結果ですが......がんが......」
「はい......」
僕も妻も、息を止めた。
「顕著に縮小しています!」
井上先生はPC画面を僕たちに見せた。
そこには6月14日と7月19日に撮影した画像が左右に並べてあった。
見比べると、左肺にあった原発巣のがんがものすごく小さくなってる!
「かなり小さくなってますね。ほら、ここです」
井上先生はCT画面をペンで指した。
それは素人が見てもわかるほど小さくなっていた。
井上先生はCT画面上で定規スケールを出し、腫瘍の大きさを計測した。
「えっと、前回6月14日のCTでは、この原発巣は約4・8センチ×3・3センチでした。昨日は1・8センチ×1・3センチくらいになってます。容積では8分の1くらいでしょうか。それと、右肺の小さな腫瘍もほとんど消えていますね」
僕の右肺に光っていた『満天の星空』のような数え切れないがんたちが、ほとんど消えていた。
井上先生がところどころボコッと黒く写っているところを、ペンで指しながら言った。
「ここは消失したと思われます」
「消失......」
どこか異次元に行ってしまったんだろうか?
「脳もこんな感じです」
続いて、脳のCT画像を出した。
「えーっと、脳腫瘍もほとんどわからないくらいになってます。この画像では、以前どこに腫瘍があったかわからないくらいですね」
おお、すごいや。
「先生、他は?他のところは?」
井上先生は、それぞれの臓器のCT画像を一通り出しながら言った。
「はい、肝臓や腎臓、脾臓のがんもほとんど消えていますね」
おお、なんと。
井上先生は僕の骨のCT画像を映し出すと、ペンで指しながら言った。
「骨の修復も随分進んでいますね。この白いところが修復され始めているところです」
画像では真っ黒だった骨の部分に、白い新しい骨が形成されていた。
「腫瘍マーカーCEAは34・2と基準値5・0を大きく上回っていますが、前回6月のときは50・0でしたから、かなり下がっています。いい感じですね。これからおそらく、どんどん下がるでしょう」
「おお、いいですね」
「アレセンサを飲んで肺がんが全部消えた人はいるんですか?」
僕は聞いてみた。
「ええ、私の知る限りではCT画面上でがんが全く見えなくなった人は数%以下です」
「じゃあ次、僕はその数%以下になりますから」
僕は笑いながら言った。
なんと、僕の身体中に転移していたがん、あんなにあったがんが、たった20日でほとんど消滅していた。
僕と妻は病院を出ると、目を合わせ、ニッコリ笑った。
「奇跡だね。奇跡が起こったんだよ」
「すごいね、よかった、本当によかった。神様にありがとうって、お礼を言わなくちゃ」
確かにアレセンサの威力は大きかったかもしれない。
でも、僕は思う。
それだけじゃない。
今までの厳しい食事制限による身体の浄化。
〝悲しみ〟という抑圧された感情の排出。
南伊勢の大自然の力、ヒーリングの力。
自分を超えた大いなる存在と、魂の計画への信頼。
そして、何より妻の献身的な看護と僕への愛情。
僕を心配してくれている息子たちや父や母、姉、お見舞いに来てくれた人たち全ての想い、全ての力がパワーとなってこの結果を連れて来たんだ。
1週間後の血液検査で肝臓の数値は元に戻り、なおかつ腫瘍マーカーCEAも引き続き下がっていたので、アレセンサは通常量服用することになった。
8月中旬、退院して初めてのお盆で帰省したとき、母が言った。
「実はね、言わなかったけど、健が年を越すのは難しいと思っていたの。だから今は本当に幸せ。私はね、あなたが生きているだけで幸せ。そう、生きてくれているだけ、それだけで私は幸せなの」
そう言って、目頭を押さえた。
そうなのか......、いや、そうなんだ。
がんになる前までの僕は生きることに対して、無意識に多くの制約や責任や義務を自分に課していたのかもしれない。
自分はそれらをクリアしなければ、それを果たさなければ生きている価値がない、とでもいうように。
実は違うんだ。
人は皆、生きているだけで充分なんだ。
生きていることそのものが奇跡であり、喜びであり、幸せなんだ。
僕もそうだし妻もそう。
子どもたちもそうだ。
いや、僕の家族だけじゃない。
この世界に生きている人、全てがそう。
みんな生きているだけで、もうそれだけで充分に奇跡で素晴らしいことなんだ。
8月末にステロイド剤デカドロンの服用を止めたこともあり、一時的に体調が落ちたが、その後順調に体力は回復し、10月下旬には股関節と坐骨も痛みはなくなり、普通に歩けるようになっただけでなく、短い距離なら走ることもできるようになった。
11月には腫瘍マーカーCEAの数値がついに基準値に入った。
CEA以外の指標、ALPとKL ‒ 6も同じ頃に基準値に入った。
12月末には放射線治療でいったん抜けた髪の毛は生えそろい、帽子をかぶらなくてもよくなった。
肺の中のチクチク、ズキズキした痛みも徐々に消え、時々思い出したようにチクっとする程度になった。
翌年2018年1月のCT検査では、僕の原発のがんは白い霞みたいなモヤモヤに変わっていて、井上先生いわく「多分何かの痕みたいになっているのが写っているのでしょう。活動はしていないと思われます」とのことだった。
そして、3月には嗄れた声もずいぶんと戻り、がんになる前と同じように声が出せるようになった。
こうして、とてつもない体験を僕の人生に刻み込み、がんは僕の元を去って行った。