「病気の名前は、肺がんです」。突然の医師からの宣告。しかもいきなりステージ4......。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。「絶対に生き残る」「完治する」と決意し、あらゆる治療法を試してもがき続ける姿に......感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。21章(全38章)までを全35回(予定)にわたってお届けします。
「ちょっと、前向きに考えていただきたいと思います」
「ま、僕は生き残るほうの3割に入りますから、大丈夫です」
僕は自分に言い聞かせるように言い続けた。
「5年生存率が3割だというと、大体2年後までにどのくらいの人が死んじゃうとかあるんですか? とりあえず2年頑張りましょうとか、そういうのあるんですか?」
「そうですね、まずは今の段階で言うと、抗がん剤のお薬がどれになるか、ということで違うと思います。それとあと使っていくうちに合併症、副作用っていうのが必ず出ます。 そういったなかでこれ以上抗がん剤は使えない、なんていうような合併症が出ちゃうと、 またそれは話が別になってきちゃいます。そういったことがなければ、今のところはですよ、わかっている段階では、使うお薬によっては、そのお薬を使っていて再発になった期間というのは、 20カ月というお薬とかもありますし9カ月というお薬もあります。それぞれ別なんです。それぞれが平均値なんです。9カ月のお薬を使って、次は何カ月のお薬を使っていくかというふうなんです。その組み合わせによってその平均値というのが足されていくわけです。20カ月というお薬が第一選択になれば、平均として20カ月はそのお薬でいけるかもしれない」
「かもしれない......」
「となると、まあ2年近くは何事もなく、1剤だけで。それはわかんない。正直なところ。 やってみなければわかんない」
掛川医師は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「抗がん剤って飲み薬なんですか?」
「飲み薬も注射もあります」
「僕はタバコも吸わないし、酒も飲まないし、運動も適度にやっているんですけど......」
「それがですね、そうなんです。世の中ね、悪いこといっぱいやっている人いるのになんで自分が?っていうと、答えはもう出ないんです。わかんないんです。タバコ吸わないタイプのがんなんです、刀根さんのは」
「最初にできたのはいつ頃なのかわかります?」
「わかりません。実際はわかりません」
「スピードが遅いってネットで書いてあったんですけど」
「人それぞれです」
「ステージ4か......家族に話すのにちょっと......。ここと、ここと、ここ、大きいの3箇所。 あと、ちっちゃいのがあるかもしれない、ということですね......。全身はどうなんですか? ペット検査受けたじゃないですか」
「今のところは、一番遠くに飛んでいると思われるのが反対側の肺と、骨、胸骨、であろ うかな、と」
「じゃ他のところ、べつに何か肝臓だとかは?」
「今はなさそうなんだけど」
「今のところはですね」
「はい」
「抗がん剤の治療で入院とかはする必要はないんですね」
「1回はどっかで入院していただくことになります。まず最初」
「どのくらいの期間ですか?」
「薬剤によって変わります。大体どんなに短くても2週間はみていただきます」
「2週間か......髪の毛抜けちゃったり、白髪になったりする可能性はありますか?」
「髪の毛はね......薬によっては副作用もありますのでね。中には髪の毛抜けないお薬もあります。ただ髪の毛でいいますと、髪の毛では死なない」
「ま、別に髪の毛はどうだっていいんですけど」
僕は苦々しく笑った。
「それ以外にも怖い副作用があります。それもちょっと慎重に考えていったほうがいいと思います。肺がんの病気自体は非常に治りにくい病気なんです。なので、まあ考え方としてはですね、ま、とにかく進行を遅らす、というのがメインです。まことしやかに身体の病気が全部なくなっちゃいましたというのは、2割以下」
「はー、でもそういう人、2割はいるんですね」
「で、それでいうと、ま、5年生存率で3割に入っている人は、戦いながら6年目を迎える人も当然いるでしょうし、無事に何事もなく6年を迎える人もいるということ」
「5年超えれば一安心。それが目安だということを聞いたことがあるんですが」
「それはですね、この病気が身体からなくなったというような状態になってから5年ということです。だから戦いながら6年を迎えた人が5年経ったからスパッと治療を止めるんですか、と言えばそうではない、ということです」
掛川医師はため息をつきながら、僕の小さな希望を打ち消すように画面を切り替えた。
そこには僕の脳のMRI画像があった。
「これ脳みそ。脳みそには転移がない。これ、よかったです」
「最近滑舌が悪くなってきたように思いましたが、気のせいでしたね」
僕は気休めに笑った。
「それとDNA検査をやるんでしたよね」
「内視鏡の生検で細胞はもう採取しましたので、改めて追加してやることはありません。 そのとき採取した細胞を検査に回します。それと、もう一つ私たちが調べていることがあります。それはEGFRという遺伝子の名前なんですけれど、これが刀根さんの遺伝子にあるかを調べます。もしあって、陽性だったら、このEGFRを持っている人に使える分子標的薬というお薬が使えます。で、もしあったら、これをね、一部の採血とかを研究に使わせていただきたいということ。このEGFRという遺伝子変異が陰性だった場合は次にALK(アルク)というものを調べます。で、もしこれが陽性だったら、これの分子標的薬が使えることになります。これ、段階を追ってやっていきます」
「わかりました」
「この検査に大体10日くらいお時間をいただいております。次は12日の月曜日にいらして いただけますか。もしくは、15日の木曜日」
「これが3日4日ずれたからといって僕の死期が早まるということはないですよね」
僕は痛いジョークを言ってみた。
「それは、誤差の範囲だと思います」
掛川医師は眉間にシワを寄せたまま、笑わなかった。
「じゃ、15日で」
「15日の11時半はよろしいでしょうか」
「はい」
掛川医師は目の前のパソコンにパチパチと打ち込んだ。
「予約を取りました」
「ありがとうございます。この間何か気にすることとかはありますか?」
「いえ、今までどおりにお過ごしください」
最初からずっと室内にいた若い研修医が僕を悲痛なまなざしで見つめていた。
きっとなんて言葉をかけていいのかわからなかったのだろう。
だが、なぜか腹が立った。
肺がんステージ4の宣告をするときの実例にされてしまったような気がしたからかもしれない。
診察室を出て暗い廊下を通ると、古い長椅子に咳き込んでいる人たちがたくさん座っていた。
「こほこほこほ」
「げほげほ」
ひっきりなしに咳が聞こえる。
みんなこんなに咳をしていたっけ?
目の前に広がる世界が冷たいモノトーンのように、僕には感じられた。
そこは診察室に 入る前と、明らかに違う世界になっていた。
病院を出て電車に乗ると、僕は急に落ち着きを失った。
スマホでステージごとの生存率をネット検索すると、指が震えていることに気づいた。
ステージ4の5年生存率は掛川医師の話と違い10%以下だった。
1年生存率が30%だった。
気を遣ってくれたのか......。
1年以内、死ぬ確率が70%......。
目の前が暗くなった。