定年退職の後や年金受給の時期など、考えなければならないことが山ほどある「老後の暮らし」。哲学者・小川仁志さんは、これから訪れる「人生100年の時代」を楽しむには「時代に合わせて自分を変える必要がある」と言います。そんな小川さんの著書『人生100年時代の覚悟の決め方』(方丈社)から、老後を楽しく生きるためのヒントをご紹介。そろそろ「自分らしく生きること」について考えてみませんか?
人生の後半をネガティブに考えない
人生とは歩んでいくものです。
あるいは駆け抜けるという表現をする人もいます。
まさにそれをどう喩えるかによって、その人の生き方が決まってくるわけです。
あるいは人生を道にたとえて、上り坂だとか下り坂だとかいう人もいます。
まずこの上り坂下り坂という表現についてですが、個人的にはあまり好きではありません。
なぜなら、人生はいつも山あり谷ありだと思うからです。
仮に前半生は目的に向かって頑張るという意味で上り坂、後半生は人生をまとめにかかるという意味で下り坂というのだとしても、やはり同意できません。
人生をまとめにかかるのが下り坂だとはとても思えないからです。
同じ意味で、帰り道とか折り返し地点というのも嫌いです。
どうしても後半生を軽視しているように聞こえるからです。
前にも書きましたが、人生が五〇年とか六〇年とかいう時代にはそれでもよかったのかもしれません。
でも、人生一〇〇年時代となると、そう単純に前半後半に分けるわけにはいかないのです。
後半が五〇年もあるのに、それをネガティブに捉えること自体が問題だからです。
財産をどう残すかとか、何を墓場に葬るか等について考え、準備する「終活」という言葉がありますが、あれは人生の最後の数年くらいにやればいいのです。
あたかも人生の後半五〇年を終活みたいに捉える発想は、それこそ墓場に葬りましょう。
勝ち負けではなく、一歩一歩の意味を大事にする
私が抱いているのは、坂のイメージではなく、スタート地点からゴールまでを探索するちょっとした旅のイメージです。
だから駆け抜けるというのもニュアンスが違うのです。
あたかも人生は短距離走であるかのように、最初から最後まで駆け抜ければいいと考えている人がいます。
でも、人生が一〇〇年もあると、それは無理です。
がむしゃらに走るのではなく、むしろ自分のペースで歩きながらプロセスを楽しむべきでしょう。
山や森の景色を楽しみながら、自分のペースで歩く。
もちろん走りたくなったときには走ってもいいでしょう。
それができるのは短距離走でも登山でもなく、ロングトレイルです。
だから人生一〇〇年時代の歩き方は、ロングトレイルにたとえるべきだと思うのです。
ロングトレイル型の人生は、ゴールに早く着くのが問題ではありません。
一歩一歩の意味を大事にするところがポイントです。
だから誰かとの勝負でもなければ、記録との勝負でもない。
自分がその瞬間をいかに楽しんでいるかがすべてなのです。
山や森の景色は一歩ごとに変わります。
その変化を常に前向きに受け止め、次の一歩へとつなげる。
何か新しい発見があれば、立ち止まってもいいでしょう。
見たこともない景色が目の前に広がっているなら、それはじっくりと目に焼き付けておくべきです。
ただ全速力で駆け抜けるとき、少なくとも私は何も考えることができません。
まるで脳みそまで筋肉になったかのように、無酸素運動に集中するだけです。
ところが、森の中をゆっくりと歩くとき、逆に全身が感覚器官となり、同時に全身が脳になります。
鳥の声に耳を傾け、皮膚さえも森のマイナスイオンを感じ取り、その意味を考えるのです。
人間と自然の関係、なぜ自分は今ここを歩いているのか。
歴史上、散歩しながら哲学してきた人たちはたくさんいます。
古くは古代ギリシアのアリストテレスのように逍遥学派と呼ばれた人たち、そして散歩を日課にしていた近代ドイツのカント、京都の「哲学の道」で有名な日本の西田幾多郎など。
歩きながら、移り変わる景色に敏感になることは、脳に対する刺激になるのでしょう。
その点でもロングトレイル型の人生は、私たちの日常を豊かなものにしてくれるはずです。
何も考えない人生より、たくさん考える人生のほうが意義深いものになるからです。
【最初から読む】「人生100年時代」を楽しく生きるために必要な哲学
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哲学者が語る20の人生訓や新時代への考え方など、人生を豊かにしてくれる言葉が全5章にわたってつづられています