ピンピンコロリだった義父。うらやましい最期の理由を考えてみると...

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:kame
性別:女
年齢:52
プロィール:89歳で亡くなった義父は、まさにピンピンコロリでした。私もそれがいい!と願っています。

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「日本人の多くはある程度の年数、介護が必要な生活になる」。これは以前ホームドクターに教えていただいたことでした。しかし、義理の父は違っていて、まさに「ピンピンコロリ」で天に召されたのです。

89歳で亡くなった義父は、亡くなるその日までごく普通に生活していました。いつも通りに行きつけのカフェまでドライブして、コーヒーブレイク。その後帰宅してからは自転車でふらりとお出かけ。夕方近くに帰宅してから義母と2人で夕飯タイム。そして、入浴を済ませて読書をする。そして眠りにつく。

違っていたのはそのまま目を覚ますことなく、眠ったまま天に召されたことでした。

自宅での最期でしたので検死が行われます。その結果「亡くなったのは真夜中。ほんの一瞬の出来事だったと思います。ご本人は痛みを感じることもなかったはず」と、そう聞かされました。悲しみの中、「幸せな最後だったよね」、そして「私もそうありたい」と思ったことを覚えています。

その後「そうあるためにはどうすればいいのか」、義父の生活習慣についてあれこれリサーチしてみたところ、意外なことがわかりました。というのも、義父の生活は「ピンピンコロリ」を迎えるにはあまりにもリスキー。高齢者とは思えない生活ぶりだったのです。

食生活はまるで若者です。毎日お肉と揚げ物が中心の食事で、魚は嫌いだから食べない、野菜は気が向いた時だけちょこっと食べるのが義父の流儀。何度か夕飯を共にしたことがありましたが、確かにその偏食っぷりには唖然とさせられていました。さらに、「運動は嫌いだ!」と体を動かすこともありませんし、たばこは毎日キッチリ1箱。それに、病院嫌いだったので、めったに病院には行かなかったのだそうです。
聞けば聞くほど「よくもそんな生活でピンピンコロリだったな~」と、感心するやらあきれるやら。

しかし、そこから1つ気づいたことがありました。

そんな生活を送っていた義父ですので、ストレスとは無縁だったのでは?と思うのです。義父はワガママ放題で、その破天荒な行動に家族全員ひやひやさせられっぱなしでした。つまり、だれが何と言おうと、「好きなように生きる」を貫いていたのです。
ただし、唯一自制していたのが食事の量だったそう。義父は何歳になってもカッコツケさんでおしゃれに気を抜くことはありませんでした。それを保つために体型には注意を払い、体重の増減にだけは目を光らせていましたので、80代になっても30代の洋服がすんなり入っていたと自慢していました。
そしてぐっすり眠るために毎日おちょこ1杯分の寝酒を飲んでいたのだそうです。

つまり、生活習慣はなっていなかったものの、ストレスをためない、体型を崩さない、しっかり眠ることで健康維持できていたのかもしれません。

よし、それなら私もわがままに......と思うも、家族に迷惑をかけるのは嫌ですし、かえって私にはストレスとなります。幸い、もともと私はタバコは吸いませんし、少々太ったもののほぼ昔の体重を保っていますので、この2つに関してはクリア。残るのはストレス発散と睡眠の問題です。そこで、睡眠の質を向上させるたに始めたのがヨガ&ウォーキング。夕方体を動かすとぐっすり眠れるらしいので数年間続けています。それ以外では、おしゃれをする、映画を見に出かける、週末のドライブ、ハンドクラフトなどなど、その時々で「これがやりたい」そう思うことでストレス発散を実践しています。

これが正解かどうかはわかりませんが、ピンピンコロリのため、これからも続けてみたいと思います。

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