<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ぴち
性別:男性
年齢:52
プロフィール:おいしいものがくれる感動はさまざまなパターンがあるみたいです。
15年前、私(当時37歳)は野菜や果物を販売する仕事をしていました。
市場での仕入れもしていましたが、早朝の起床ではなかなか布団の呪縛から抜けられない日もありました。
それでも市場に出向いて、たくさんの品物を見定めて仕入れることはとても楽しいものでした。
ときにはとても新鮮でおいしい果物を安く仕入れて、自分で買って帰る、そんな役得もありました。
月に1回ぐらいの割合で旬の果物を買って帰ると「やっぱりスーパーで売っているものとは全然違うね」と、家族からも好評でした。
私が43歳の頃、母(当時55歳)から「何かおいしい果物を買ってきてくれないか」と頼まれました。
母の話によると、母の職場の同僚のお母さんが体調を崩しているので、「お見舞いに持っていきたい」と言います。
その頃、ブドウがおいしい時期だったこともあり、私はおすすめのブドウを買って、それを持って母はお見舞いに出かけました。
その後、母から「とっても喜んでもらえたよ!」と聞かされ、そのまま同僚の方のことを話してくれました。
同僚の方のお母さんは大病を患っており、ベッドでの生活がしばらく続いていたそうです。
食欲のないお母さんが食べられるものはないだろうか? と考えた同僚の方は、お母さんが果物が大好きであることを思い出しました。
そして、私の母が「息子がいつもおいしい果物を買ってきてくれるんだよ」と話していたことを思いだし、今回の話になったそうです。
入院中のお母さんは、私が用意した種の入っていないブドウを食べて「おいしい! こんなブドウ、食べたことがない!」と驚いてくれたそうです。
お母さんも、それを見ていた家族も、みんな泣いて喜んだとか。
それを聞いて「この仕事をやっていて本当に良かった!」と心から誇らしく思いました。
それから1年後、母から再度ブドウの注文を受けました。
「その後、体調はどうなんだい?」と問う私に、母は「少し前に亡くなったそうだよ」と教えてくれました。
昨年ブドウを食べた後、同僚の方は退職し、お母さんと一緒に過ごす時間を増やしました。
それからしばらくして、お母さんは他界されたそうです。
亡くなる直前「あのブドウ、もう一回食べたかったなぁ」と言っていたことも教えてくれました。
翌年以降、ブドウの注文が来ることはなくなりました。
また、そのブドウも生産量が激減し、今ではレア品種と呼ばれるようになり、店先で見ることはなくなりました。
それでも、きっとこの先も忘れることのできないそのブドウの名前は「種なし高尾」。
同僚の方にとっても私にとっても、思い出深い特別な品種となりました。
「涙を流して喜んでもらえるなんてなかなかないことだよ」
そう言ってくれた母の言葉は、今でも私の心に残っています。
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