「頼む違うものであってくれ」親族から溺愛された娘。小学校入学が近づくと各所からのプレゼントが

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:ウジさん
性別:男性
年齢:60
プロフィール:今は関東圏の中学校で教師をしている娘(27歳)は、一族にとって最初の赤ん坊でしたので溺愛ぶりはひとしおでした。

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現在27歳になる長女は、私の両親にとっても義実家の両親にとっても初孫。

また、私の兄(現在63歳)や、義弟(現在48歳)にとっては初めての姪っ子でした。

娘が生まれたときは、実家の両親、兄夫婦も揃ってお祝いに来てくれて、それぞれからいただいた産着を日替わりで着ていました。

お宮参りのときには、私の実家から豪華なシルクのおくるみが届きました。

義実家側の祖母(当時91歳でまだお元気でした)が先祖伝来と用意してくれたおくるみの上に羽織らせて、まるでボールのようになった写真が残っています。

雛飾りも2つ(どちらも大きすぎて、それぞれの実家で飾られただけでしたが)いただきましたし、七五三の着物も2つ揃いそうになって、私の実家のほうは7歳のときに作るという条件付きで折り合いました。

娘の最初の誕生日には、私の両親や兄夫婦も我が家を訪問してくれて、両家揃っての大パーティーが繰り広げられました。

娘は万座の中心で、さながら中華テーブルの料理のようにくるくると回されていました。

その娘が小学校入学を控えた年の暮れのこと、22年前の話です。

誕生日プレゼントは何が欲しいか聞かれた娘。

「ランドセル! 青いのがいい!」

即答した娘のために、さっそくデパートに出かけて気に入った青いランドセルを購入しました。

当時はまだカラーバリエーションは少なく、かなり挑戦的な選択だったと思います。

数日経って、妻が義父(当時62歳)に呼び出されて義実家へ出向きました。

「やっぱり来ちゃったわ。まあ気持ちだけでもってとこね」

帰ってきた妻の手には赤いランドセルが...初孫への心づくしということでしょう。

「私、赤いのも使いたい!」

娘も空気を感じ取ったのか、気を遣った発言がありました。

嫌な予感を感じつつ、さらに数日が立つとデパートの配送が届きました。

「予想どおりまた来たぞ。今度はピンクだ」

私の父(当時68歳)からでした。

電話で感謝を伝えつつも、少々気が重くなっていました。

ところが、これで終わりませんでした。

その翌日には兄(当時41歳)からも荷物が届き、せめて何か学用品の類であってくれ!と祈りながら開封すると...。

「うわあ、緑のランドセルだ!」

当時は珍しい色で、兄も初の姪っ子にお似合いの一品を選んでくれたようでした。

さて、ランドセルが4つも揃ってしまいました。

せっかくの頂きものなので、娘に好きなものを選ばせて使わせようと、リビングのテーブルに並べてみました。

「...すごーい! ランドセル屋さんみたいだあ!」

娘は大はしゃぎです。

たしかに、まだまだ女の子のランドセルは赤色の時代でしたから、4色のランドセルが並ぶ光景はなかなかの壮観でした。

とっかえひっかえランドセルを背負って鏡で姿をチェックする娘は、さながら高級ブティックで品定めをする令嬢のようでした。

「うーん、やっぱりこれがいい!」

娘が選んだのは、最初に自分で選んだ青のランドセルでした。

娘はそれでもそれぞれのランドセルのお礼状を書き、3つのランドセルは大事にしまわれることになりました。

覚えたてのひらがなに、似顔絵を添えた礼状は、3つの家の壁に長く飾られていたようです。

後々、東日本大震災の時は、支援物資として活躍することになり、娘は「やっと役に立つ日が来たよ、君たち」と言って送り出したのでした。

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