63歳で肺がんで亡くなった祖父。今でも記憶に焼き付いている最期の姿

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ペンネーム:つよぽん
性別:女
年齢:38
プロフィール:2児のアラフォーママです。健康への意識が高まってきた今日このごろ、栄養サプリメント摂取や運動を心がけています。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

父方の祖父は63歳という若さでこの世を去りました。当時私はまだ中学生です。初めて人の死に直面し、かなりの衝撃を受けた記憶があります。祖父が亡くなった原因は「肺がん」でした。

風邪が長引いていると言っていた祖父。なかなか治らないので病院を受診すると、医師から精密検査を受けるよう言われ、ただの風邪だと思っていたのが、まさかの肺がんを告知されることになりました。特に際立った自覚症状がなかった、というのが恐ろしいところだと思いました。

当時39歳だった父、38歳だった母も突然の事態に頭を悩ませていました。いつも一緒にいた祖母でさえ、夫の異変に気づくことができず悔やんでいたのが印象的です。事態は思ったより深刻で、手術ができる状態ではありませんでした。中学生だった私は両親から病名を聞かされておらず、手術ができない理由も知りませんでした。ただ入院して治療したら治るくらいに思っていたのです。

祖父が入院してから両親はたびたび病院へ行き、ため息ばかりついています。その様子を毎日見ているうち、祖父の病気はただ事ではないと勘づくようになりました。祖父の命は助からないの? 私は病気のことが気になりましたが、両親のピリピリした雰囲気から聞ける状況ではありませんでした。

そんな毎日が続くこと半年。学校の授業中に母から「家に帰ってきなさい」と連絡が入りました。何も理由は聞かされないまま、祖父が入院する病院へ足早にむかいました。到着して部屋のカーテンを開けると、私の目に飛び込んできたのは酸素マスクを装着した祖父の姿でした。心拍数や血圧を測る機械が体につけられ、点滴をうっています。

ふだんと違った状況にただごとではないと分かりました。心拍数が多くなったり少なくなったり、呼吸は浅く苦しそうな状況に息をのみました。父が祖父に「孫がきたぞ!ちゃんと見ておけよ」と声をかけると、意識がもうろうとするなか一生懸命に私のほうを見ていました。「孫のこと見えるか?」と聞くと、祖父は何回もうなずいていたのが印象的です。

あれから20年以上の月日が経過した今でも当時の光景を鮮明に覚えています。孫の姿を目に焼き付けようと、今にも閉じてしまいそうな目を懸命に開いていた姿を一生忘れません。当時の私は病気で苦しむ祖父に「がんばれ」としか言えませんでした。何もしてあげられない悔しさを子どもながらに感じたものです。祖父はその翌朝この世を去りました。悲しいというより「なぜ助からないのか?」という悔しい気持ちのほうが大きかったです。

月日は過ぎてみれば早いもので、亡くなった祖父と親が同じ年代になりました。病気で苦しむ親の姿は誰しも見たくありません。いつまでも元気な親でいてほしいと強く願うばかりです。

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