「あんたの家怖い」と友だちに言われ...子どもの頃、モラハラ父に課せられた家庭内ルール

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:ころん
性別:女
年齢:52
プロフィール:モラハラ父のもとで中学生で自分は結婚は向いてないと悟る。体の弱さと戦いつつ自由気ままにソロ生活を楽しんでいます。

「あんたの家怖い」と友だちに言われ...子どもの頃、モラハラ父に課せられた家庭内ルール 46.jpg

両親ともに厳格な家庭で育ちました。

父は家族で一番おかずが多いとか、父より先に新聞を開いてはいあけないなど、「ザ・昭和」な絶対ルールがありました。

子どもたち(私と弟2人)にはとにかく「ダメ」なことが多く、「なんでうちだけ?」と思う反面、ずっと「まぁ、これが普通なんだ」とも思って育ってきました。

まず、言葉遣い。

いまだに両親には「ですます」で話しています。

家で「おはよう」と言ったことはなく「おはようございます」「おやすみなさい」です。

それとテレビ規制。

大抵のお笑い番組はダメでした。

ただ、学校でも友だちの話についていけないけれど、特別それをイヤだと思ったことはことはありません。

少々古いですが、今でも「志村、後ろ後ろ!」の意味が分かりません。

見ることができたテレビ番組は、子ども向けの名作劇場とNHKの大河ドラマくらいでした。

そして、小学校からその年齢に見合った、家での仕事が決まりました(これも当時は各家庭でもやってると思ってたんですよね...)。

私の場合、父の靴磨きからスタートしました。

それが終わったら朝食を食べていいとか決まりがあります。

弟が2人いたので、学年が変わると仕事が変わるシステムです。

階段の拭き掃除や食後の皿洗いやお風呂掃除、玄関掃除なども増えたりチェンジしたり、どうしても学校に遅刻しそうなときは「ツケでお願いします!」と叫ぶと、1回分その夜か別日に加算されていました。

門限は20歳を過ぎてもありました。

外泊はずーっとダメだったので、小さい頃、近所の子たちでお泊り会をやっても、うちは母が迎えに来ました。

大人になってもダメなので(これは信用していないのではなく、異常な心配症だったのです)、どんなに遅くても「タクシーでいいから帰ってらっしゃい」と言われてしまうので、何かと大変でした。

友だちが遊びに来ると必ず母に1人ずつ紹介する、という決まりもありました。

私にとっては普通のことだったのですが、友だちから「あんたの家怖い」とすごく言われていたことも、後から知りました。

うちが普通じゃなかったんですね...。

そういえば、私が17歳の頃、短期間だけ家庭教師を呼んでくれたことがありました。

若い男の先生だったので、勉強はリビング横の部屋で、必ずドアは開けたままと決まっていました。

当時は鬱陶しくて、嫌でした。

ですが、今となっては我が家のルール、分かることもあるのです。

家庭教師の件だって門限だって、事故の予防線だったのかと今なら理解できます。

そして、子どもの頃に課せられた仕事のおかげか、私は自分の担当だった食後の皿洗いが今も全く苦ではありません。

この我が家のルール、結果的にはありがたいものだったのかもしれないと感じるこの頃です。

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