<この体験記を書いた人>
ペンネーム:むらまゆ
性別:女
年齢:44
プロフィール:義母がいない今、兄弟2人と私で義父を支えようとしているはずですが、どうにもこうにもうまくいきません。
私は44歳の専業主婦です。
夫は46歳公務員、子供は16歳の高校生。
問題の義父は73歳で、先日自営の会社をたたんで今は年金生活をしています。
義弟は41歳で、今までバイトも就職もしたことがない無職です。
義母は昨年初め70歳で亡くなりました。
義父は所謂「モンスター患者」です。
2年以上前に病院で検査をしたのですが、持病以外の異常を指摘されて「そんなことはない、検査結果がおかしい」と一言。
一度家族を連れてきてほしいと言われても、「必要ない、俺には家族はいないから」と驚愕の嘘。
検査入院を勧められた時は、「今は妻(現在は鬼籍、当時は療養中)の介護で忙しい」とまたも嘘。
家族はいないといいながら妻の介護は矛盾していますが、「義父が病院で本当に言った」ということを、つい最近夫と私は知りました。
教えてくれたのは同居している義弟。
なぜ、義弟が言わなかったのか聞いたら「言う必要がないと思ったし、聞かれなかったから」とあきれるような返事が返ってきました。
教えてもらえなければ別居している以上、聞くことはできません。
そして今年に入り義父の病状は更に悪化し、夫は直接義父に話をして病院についていくことにしました。
義父は相当嫌がりましたが、夫が必死に説得したそうです。
「自分で全てできるならいい。俺は仕事がある、いきなり明日手術だから立ち会えと言われても困る」
義父はそこまで言われてやっと病院に行くことを了解したのだと、夫は疲れた表情で話してくれました。
夫が病院へ付き添っても、義父は相変わらずでした。
病院の待合室で「もう生きている意味がないから楽して逝きたい」と言い続けたそうです。
病院側も義父を「モンスター患者認定」したようで、医師も目を合わさず検査入院の日程を淡々と決めていったそうです。
義父が「検査中に目が覚めなければいい」だの「楽して逝くことができるなら、検査も手術も受けない」と言い続けましたが、医師は苦笑いしていただけだったそう。
ただ病院から離れて夫と義父の2人きりになった時も、あきれるような発言を繰り返していたようです。
「手術をすれば治るから、治ったら家を建て直して趣味に没頭したい」
「医者は嘘をついてる、検査なんかすぐ終わるし、手術はあっという間に終わる簡単なもんだ」
主張の矛盾もおかまいなしな発言を連発。
夫はほとほと呆れてしまったそうです。
義父がそんなことばかり言うのは昔からのこと、と夫は言ってました。
確かに20年近く前の私の両親との初顔見せの時に、私の両親の前で「早くばばあ(義父の妻のこと)がいなくなって、俺は一人の時間を気にせず趣味に没頭したい」と言っていました。
私の両親はなんて事を言うのかとびっくりしましたが、夫と義母は冷静に対応していたことに違和感を覚えました。
実際、義父母の仲は悪かったです。
義父は義母のことを、妻というよりただの家政婦に見ていたし、義母も同じ事を言っていました。
義母が亡くなる直前、義母の顔を拭こうと義父が手を伸ばした瞬間に、言葉にはなっていませんでしたが「お前は触るな」と最後の力を振り絞って義父の手を払いのけた義母。
その光景を見ていた義弟は「この夫婦はかなり前から終わっていたんだ」と分かったそうです。
結局義父は義母という家政婦がいなくなり、生活の維持ができなくなりつつあるのです。
義母がいなくなったことを悲しんでいるわけではなく、家事をするのが大変で、自分がかわいそうと思っているだけ。
その証拠に、夫に「女手がなくて困っている」なんて言っていたそうです。
義父にとって義母はただの女手、家政婦だったのでしょう。
私も女手の1人ですが、以前義父に「お前なんか家族でもなんでもない」と言われているし、自分も子供も病気を抱えているので、むしろ頼りにされずに好都合です。
夫が困っていた時には後方支援をするつもりはありますが、後方支援以上のことをするつもりはありません。
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