<この体験記を書いた人>
ペンネーム:やまと
性別:女
年齢:41
プロフィール:10歳年上の夫と二人暮らしの主婦です。
80代の父は70代の母と2人暮らし。
毎年父の日には私たち夫婦からお酒を贈っていました。
しかし長引くコロナ禍でお酒の量が増えて心配だと母から連絡があり、2021年の父の日はお酒以外のものを贈ることにしました。
ところがいざ考えると、何を贈ればいいかなかなか思い浮かびません。
趣味のCDや本はいっぱい持っているし、好きな食べ物もおつまみのようなものだし...。
そのときふと、昔のことを思い出しました。
私がまだ高校生くらいで父の仕事がとても忙しかった頃の話です。
「定年したら花農家をやりたいなあ。花を掛け合わせてより綺麗な色の花をつくったりして暮らせたらどんなに楽しいだろう」
父がそう言ったことがありました。
さっそくネットで花を探すと、きれいな朝顔が目に止まりました。
毎年朝顔市に出すような立派な朝顔でしたが、コロナ禍で朝顔市が中止になり行き場を失ってしまったとのこと。
届くのは父の日を少し過ぎてしまいますが、父に連絡すると「ありがとう、とても楽しみにしてるよ!」と言ってくれました。
そして7月上旬、父から電話がありました。
「ありがとう、昨日届いてさっそく今朝咲いたよ。すごくきれいだね、何年か前に買った朝顔とは違って花が立派でびっくりしたよ」
珍しく、父が弾んだ声で話してくれたことで私もうれしくなりました。
それ以降、父からちょくちょく連絡が来るようになりました。
「今日も咲いたよ、毎朝どんな花が咲くのか楽しみで、早く目が覚めちゃうんだよ」
「小さい頃を思い出すなあ。亡くなった兄さんとどの朝顔が早く咲くか予想しあったんだよ。何をしても勝てなかった兄さんに予想で勝てたときは嬉しくて、朝顔を口にくわえて走り回ったよ」
すでに亡くなった兄のことを話すとき、父は涙声になっていました。
思いがけず今まであまり聞いたことがなかった父の小さい頃の話を聞いて、それまでの父との印象の違いに驚きました。
私の記憶の中では仕事一筋、趣味も歴史やクラシック音楽で、「堅物」と呼ぶのがぴったりだった父。
冗談を言ったりふざけたりするところさえ見た覚えがない父が、朝顔を口にくわえて無邪気に走り回るような子どもだったなんて、思ってもいませんでした。
母によると、コロナ禍もあり元気のなくなっていた父は、朝顔が届いていから目に見えて元気になりよく話すようになったということです。
ベランダに出ることすら億劫がっていたのが、朝顔を見るために頻繁にベランダに出て日光浴をするようになりました。
以前は「そんなことやっても意味がない」と言って嫌がっていた家でのラジオ体操も、朝顔を見た流れで誘うと積極的にやるようになったそうです。
思いがけずにとても良い親孝行ができたコロナ禍の父の日、私たちもうれしかったです。
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