<この体験記を書いた人>
ペンネーム:myb
性別:女
年齢:46
プロフィール:15年間の結婚生活に終止符を打ち、歩み始めたばかりのシングルマザーです。
私の母は、何かと極端な性格でした。
私が高校に進学することが決まったとき、母(当時50歳)はなんと「高校に入ったらクラスメイトと会話をするな」と言ってきたのです。
母は当時、どこかの社長宅で家政婦をしていました。
そのお宅の娘さんが有名私立大学に現役で進学したのがちょうどこの頃でした。
「娘さんが高校時代にクラスメイトと関わらなかったことがその大学に進学できた秘訣」なんて話を、社長夫人から聞いたのだそうです。
しかし私は金銭的な理由で、合格していた第一志望の高校を辞退して別の高校へ進学をすることを受け入れたばかりでした。
努力して結果を出しても報われない理不尽さに打ちひしがれていた当時の私。
そのお嬢様が入学したような授業料の高い大学に行く金銭的余裕など到底あるはずないと思っていました。
私は、母の言いつけをそのまま守ることに意味を見出せませんでした。
そこで私は、「見えない反抗」をすることにしたのです。
表向きは母の言いつけを守り、クラスメイトとは3年間、一切会話はしませんでした。
入学当初は、「みんなで話そうよ!」と輪に入れてくれようとする子もいました。
そういう子には本当に申し訳ないのですが、私はあまり返事もせずに、ひたすら「しゃべれない人」を演じていました。
その一方で、「授業中に必死に他のことを考える」ということを実践しました。
他のことを考えるのが難しいときには、教科書の中に小説を挟んで読んでいました。
とにかく授業を聞かないことに徹したのです。
今考えると、せっかくの授業なのにもったいなかったとは思います。
しかし、成績が下がることで、母の過剰な期待からは逃れることはできました。
私自身も進学を意識せずに過ごせるのは精神的にラクでした。
しかし、転機が訪れます。
なんと母から、「進学校を出たのに大学も行かないなんてみっともない。奨学金を申請するから大学に進学をして欲しい」と懇願されたのです。
言われたのは高校3年生の1月。
受験勉強はおろか、願書提出の間に合う大学さえ、すでに限られていました。
ただ、私にとって唯一、嬉しい交換条件がありました。
それは、当時セクハラに悩まされて続けていたアルバイト先を辞めても良いというものでした。
私と母の利害関係がここで合致したのです。
そして、金銭的にも学力的にも「行けそう」と判断した大学を1校のみ受験。
幸いなことに、大学側は学生を獲得するために受験のハードルを下げており、超短期集中での受験勉強でも合格することができました。
こうして私は身の丈に合った大学に進学し、ようやく青春をスタートさせることができたのです。
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