<この体験記を書いた人>
ペンネーム ぴろ
性別:女
年齢:56
プロフィール:何も変わらない生活ですが、日差しに、春を感じて少し幸せな気分になっています。
この5年間で、父(当時78歳)と母(当時79歳)が相次いで亡くなり、死について考えることが増えました。
父は事故死だったため、なにもかもがあっという間で、悲しむ時間も考える時間もありませんでした。
ただただお葬式や、その後の手続きに追われるように時間が過ぎました。
父が亡くなって2年後、母の時は病死でしたが、心の準備はできていませんでした。
具合はよくなかったのですが、意識不明ということもなく、亡くなる当日まで話ができていたからです。
母には、生前エンディングノートを書いてもらっていました。
お願いしたのは書く必要もないくらい元気だった頃です。
ノートは日常の覚書としても便利なので、私も自分の分を買って一緒に書くことにしました。
おかげで母の希望についてもある程度分かっていましたし、手続きが必要なものや連絡して欲しい親類のことなど、書き残してもらわなければ大変だったことが分かり、本当に助かりました。
母はかねてから自分が死んだら献体して欲しいと希望していました。
そして、葬儀は自分の兄妹と私たち子ども家族だけでして欲しいと考えていたのです。
母の献体してほしいという希望は、私が大学生だった頃から帰省する度、毎回聞かされていました。
それは叶えてあげることができたのですが、皮肉なことに父が母より先に亡くなっていたからできたことでした。
父は生前、母のその思いを聞かされていましたが、賛成していませんでした。
献体は家族の反対があれば実行できないのです。
ただエンディングノートの通りにしてあげられなかったこともありました。
それは、身近な親族だけの葬儀です。
いろいろな制約があり、遠方の母の兄妹を呼んで葬儀をすることは難しかったのです。
母の兄妹には申し訳なかったと思っています。
でも父の時には葬儀はできましたが、私がほとんど喪主のようになっていたので、やることに追われて慌ただしく、きちんと悲しんでお別れができなかったような気がしています。
母の時は、私の家族と、妹家族で母を囲んでゆっくりお別れができました。
葬儀の慌ただしさもなく、本当にみんなで母のそばにただいられてよかったなぁと思います。
すぐにしなければならないことはなにもなく、家族だけで母の手に触れたり、話しかけたりできました。
あとで思い出しても良い時間でした。
そのことから、こういうお別れもいいなと思えました。
自分自身に置き換えて考えると、私たち夫婦には子どもがいません。
甥がいますが、死後のことを託すつもりはありません。
私は今56歳です。
自分がどうしたいか判断できるうちに、死んでからのことを手配したいと思っています。
希望は65歳には預金を整理したり、物の整理をしたり、自分の死を誰かに託す算段をしようと思います。
その時が早いのか遅いのか分かりませんが、どこか区切りがないといけないような気がしています。
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