鳥だけが友達だった...。負けん気の強かった亡き父の心を支えた幼き日の山での思い出

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:トリコ
性別:女
年齢:48
プロフィール:自営業の夫と大学生の息子の3人で暮らす主婦です。夫の不倫、施設に入居中の母の問題発言など悩みは尽きません。

鳥だけが友達だった...。負けん気の強かった亡き父の心を支えた幼き日の山での思い出 49.jpg

2020年の春、姉(54歳)と一緒に亡き父(満86歳で没)の故郷を訪れ、墓参りをしました。

父が生まれ育ったのは、山と海に囲まれたのどかな田舎町です。

生前は、故郷の話や子ども時代の思い出を何度となく語ってくれました。

生まれつき左足が不自由だった父は、両手に杖をつき、舗装もされていない山道を歩いて学校まで通ったそうです。

ハンディキャップを抱えながらも、負けん気は人一倍強く、逆立ちをして校庭を一周したり、自由のきく右足で水を掻いて平泳ぎを披露したりと周りを驚かせていたそうです。

杖を取り上げようと近づいてくる悪ガキには、懐に隠し持った石をぶつけて応戦することも。

「俺はいじめられたぐらいじゃ、へこたれなかったぞ」

そう武勇伝を語る父には、たくさんの勇気をもらいました。

父がご先祖様と一緒に眠っている墓は、小高い町営墓地の一画にあり、木々の間からは海が見えます。

姉と2人、墓前で手を合わせていたら、近くの林からチイチイ、チルチルとメジロのさえずる声が聞こえてきました。

私が子供だった40年前は、野鳥の飼育規制が今ほど厳しくなく、我が家でメジロを飼っていたことを思い出しました。

世話をするのはもっぱら父で、エサも手作りしていました。

父が言うには、エサに大根の葉を混ぜたほうがメジロの食いつきが良く、いつも以上に元気にさえずるのだとか。

エサの効果かどうかはわかりませんが、父がチイチイと地鳴きの声をまねすると、鳥籠の中のメジロも、黄緑色の小さな体から可愛らしいさえずり声を発していたのを覚えています。

たまに家の近くで野生のメジロが鳴いていると、嬉しそうに耳を澄ませる父の姿を見ることもありました。

ほかにも鳥はたくさんいるのに、なぜメジロだけに愛着があったのか、子供心に不思議でした。

その謎が解けたのは、墓参りの帰り道、姉の話を聞いた時でした。

ちなみに姉は、小鳥の天敵である猫を飼いたいと言って父に激怒されたそうです。

「その時、ばあちゃんから聞いたんだけど」

そう前置きをして、父の子供時代の話を教えてくれました。

それは、負けん気の強かった父がけっして語ることのなかった、ほろ苦いエピソードでした。

悪ガキたちに石をぶつけて応戦していた父も、学校に入学したばかりの頃は、歩き慣れない山道を、杖をついて登下校するだけで四苦八苦していたそうです。

誰よりも早起きして出発しても、到着するのはいつもビリ。

足が不自由なことをからかわれるのはしょっちゅうで、帰りが遅いのを心配して祖母が探しに行くと、悪ガキに取り上げられた杖を這い回って探す、泥だらけの父がいたそうです。

杖の生活にも慣れて、ほかの子と同じように歩き回れるようになっても、走ったり、ボールを蹴ったりするの無理でした。

それで、体育の授業や運動会の日は学校をさぼり、1人で遊びに出かけていたのだとか。

遊びと言っても娯楽施設などない田舎です。

行く先は決まって通学路の途中にある小高い山でした。

「きっと、山の中ではメジロが友達だったんだよ」

姉の言葉を聞いた途端、私の脳裏には、メジロのさえずり声に耳を澄ませる嬉しそうな父の顔が浮かびました。

ほかの子に追い越されながらも懸命に歩いて学校へ通う時、地面を這い回って杖を探している時、運動会がつまらなくて学校をさぼった時...。

父の孤独と悔しさを癒やしたのは、山の中で賑やかにさえずるメジロ達だったのかもしれません。

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