「ママと行けば良かったな、ごめん」授業参観に来た亡き父を傷つけた幼い私。今は心から尊敬しています

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:くあら
性別:女
年齢:53
プロフィール:2020年、大変な年だったなあ。早く良い思い出に変わりますように。

「ママと行けば良かったな、ごめん」授業参観に来た亡き父を傷つけた幼い私。今は心から尊敬しています 14.jpg

父は10年ほど前に70代後半で他界しました。

祖父の代から続く職人で、記憶の中の父はいつも作業着姿で、汗水たらして働いていました。

寡黙な人で、子育てに無関心という訳ではないのでしょうが猫可愛がりされた記憶はなく、ベタベタしてくることもない「昭和の父親」という感じの人でした。

小学校低学年の頃の、ある雨の参観日のことです。

教室の後ろにはいつもより綺麗な服を着てお洒落したお母さんたちが並び、同級生たちもソワソワして後ろを振り返っては手を振り合っていました。

私も母の姿を探しましたが、なかなか現れず、授業開始のチャイムと共に担任の教師が入って来ました。

それからしばらくして後ろの扉が開き、作業着姿の父が入って来て、真ん中あたりに立ち、振り返った私と目が合うと嬉しそうに軽く手を振ってきました。

その当時、平日の参観日に来るのはほぼお母さんで、お父さんの姿は滅多にありません。

どうしてもお母さんが来られない子は、おじいさんやおばあさんが来ていることはありました。

教室の空気がなんとなくざわざわし、隣の子に「もしかしてお父さん?」と不思議そうな顔で聞かれても返事をせず、それから一度も後ろを振り返らずに授業は終わりました。

教室から出て行くお母さんたちに紛れ、父が私のほうを気にしているのを横目で感じながらも、私は目を合わせようともしませんでした。

背広姿ならまだしも、作業着で来たことも恥ずかしかったのです。

「どうしてパパが来たの? ママに来て欲しかった! パパが来ている子なんていなかったよ!」

家に帰り、私は母に半泣きになりながら訴えました。

「ごめんなあ。いったん仕事に出たんだが、雨で仕事が無くなったんだ。家に戻ると今日は参観日だと聞いて、こんな時しか行けないし、急げば間に合うと思って走って行ったんだ。ママと一緒に行けば良かったかなあ」

涙を浮かべた私に、父は寂しそうに言いました。

そんな父の姿に、これ以上何か言うと泣き出してしまいそうで、黙ってその場を離れました。

しばらくはなんとなく気まずくて、父との会話もギクシャクしていました。

決して父のことが嫌いなわけではなく、ただ他の子と違うことが恥ずかしくて、そして父の作業着にも恥ずかしさを感じ、心ない言葉を言ってしまった幼い私。

中学生や高校生の頃も、友人が家に遊びに来た時に作業着姿の父がいると、友人に会わせたくない気持ちになったものです。

幼いながら、そのことを申し訳ないと感じてしまう自責の念もありました。

けれど、大人になり、父の仕事に対する真面目な姿勢や、その仕事の大切さを知り、幼い日に感じた恥ずかしさは尊敬に変わりました。

なぜあんな風に思っていたのだろうと、今度は自分が恥ずかしくなりました。

もし、父が生きていたなら、私の子供の参観日に一緒に行って欲しかった。

誇らしげな作業着姿で。

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