<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ぴっぴ
性別:女
年齢:42
プロフィール:小学生の子供が二人いるパート主婦です。
今から17年前、55歳で亡くなった母は優しい人でした。
ただ父はモラハラな人で、私が生まれる前から機嫌が悪いと「お前はバカだ、頭が悪い!」と母を怒鳴りつけていたそうです。
ひどい時は2時間以上怒鳴られていたこともあったそうです。
母はうつむいて罵声を浴びながら、この結婚は失敗だったと思ったそうですが、その頃妊娠が分かり、離婚はせず私を産むことにしたそうでした。
父は気分屋で、機嫌がいい時と悪い時がコロコロ変わるため、母と私は常に父の顔色を気にしながら生活していました。
大きい夫婦喧嘩で荷物をまとめて家を出たことも複数回あります。
ですが、結局母は離婚しませんでした。
理由は経済力。
自分だけだと私を大学に行かせてやれないと思ったのだそうです。
中学、高校と成長する中で、私は何度も母に離婚しようと言いました。
ですが母は「私は経済力がないから」と悲しげに言い、私にはそうならないようにと、失敗してしまった自分の人生の物語をなんども話すのでした。
「男の人に頼らなくても生活できるように、しっかりと勉強して大学に行って、仕事につくの。
結婚したとしても、ダメだと思ったらいつでも離婚できるようにしないと、私のように惨めな人生になる。
お母さん、あなたがいて幸せだけど、お父さんと結婚したのは失敗だった」
母は成績が良かったそうなのですが、高校受験に失敗。
不本意な進学先に行き、卒業後集団就職で東京に上京したのですが、母はいつも自分に学歴がないことを恥じていました。
でも、私からみると母は頭の回転がはやく器用なので、いろいろな仕事ができたと思います。
ただ、母には「自信」がありませんでした。
目指していた高校に行けなかったことが理由なのか、父から「バカが!」と虐げられていたのが原因なのか、今になっては分かりませんが...。
私は中学以降は父と同じ部屋にいないようにしていました。
父が帰宅すると、すぐ自分の部屋に入って出ていきませんでした。
父と母の2人しかいない居間からは、笑いあっている声が聞こえてくるときもありましたが、父の怒鳴り声が響くこともありました。
私は、母が私の部屋に逃げてくるのを待つだけで、母を助けに行ったりはしませんでした。
私が母を守ろうとすると、父が激昂してしまうからです。
殴られたこともあります。
でも、とても後悔しています。
なにか母を守る術はなかったのかと。
私が母に離婚をすすめた最後は、大学を卒業し社会人になった時です。
母は風邪を引いて寝込んでいたのですが、父はそれが気に食わず母に暴言を吐きかけていました。
私は「私が稼げるようになったから、離婚して2人で一緒に住もう」と言ったのですが、母は「それじゃあなたがいつか結婚する時の邪魔になっちゃう」と言うのでした。
その母の風邪は実はステージ4まで進行したがんの症状の一部で、その後母はあっというまに亡くなってしまいました。
母は幸せだったのでしょうか。
母を救えたのではないかと今も思い出しては心が苦しくなります。
だからこそ、私は母の分も幸せにならなくてはと思うのです。
生まれ変わりなど信じていませんが、母がもし別の人生を歩めるのだとしたら、「娘みたいな人生を歩んでみたい」と思ってもらえるように、私は生きてかなければと思うのです。
幸い私の夫は怒鳴ったりしない穏やかな人です。
最期まで私の幸せを祈ってくれていた母に、少しは恩返しできているかな...。
そして、私の結婚生活を「いいな」と思ってくれるかな...。
関連の体験記:「食べられるものがないの...」90代の義母が待ち望んだ食事会...ど、どうする!?
関連の体験記:14歳男子の継母になった私。4年たって突然訪れた...「息子との嬉しい瞬間」/キッチン夫婦(妻)
関連の体験記:さすがに...中学生になっても一緒に入浴する息子と娘。冷戦を経て親子で話し合った結果は⁉
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。