<この体験記を書いた人>
ペンネーム:まさかず
性別:男
年齢:42
プロフィール:部下の育成に悩むやっと課長になった40代サラリーマン。
私は某金融会社に勤める42歳のサラリーマンです。
入社して20年、最近やっと課長になれて部下をもつ立場になりました。
そこで受けた研修でこう言われました。
「部下の育成やマネジメントをする為に、定期的な面談で『コーチング』をしてコミュニケーションをとりましょう」
「課長は2週間に1度は部下と『1on1ミーティング』をして、そこで積極的に部下に質問をして、相手が課題を自分で解決できるように促していきましょう」
「そうすることで若手の『エンゲージメント』(会社への愛着)が上がり離職率を下げることができるのです」
部下が4人いる私は、月に約4時間この為の時間を確保しなくてはなりません。
面談の時には、ゆとり世代を相手に言葉を選びながら質問を投げかけ、手帳に記録をしながら進めていきます。
結構な負担です。
ある日、1年上の先輩に言われました
「俺たちの世代ってずっと理不尽じゃない? 10年早く生まれればよかったよね」
そう言われて思い返してみます。
まず就職活動。
「勉強をすれば、いい大学に行けて大企業に就職できる。将来楽ができるから」
小中学生の時から親からそう言って尻を叩かれ、夜遅くまで勉強して受験を乗り越えてきました。
しかし、就職活動の年は超氷河期の真っただ中。
知っている企業に端から応募しても、なかなか決まりません。
世間的には就職できた私はラッキーな部類で、フリーターやニートと定職に就けない方も多くいらっしゃいます。
そうして苦労して何とか採用された今の会社。
若手の時を思い出すと仕事も「これやっといて」を資料を渡されるだけ。
期限が近づき報告すると、これが違う、あれが違うと指摘。
資料に記載されていた内容とはずいぶん違うことも多かったです。
仕事が溜まって残業をしていると「おい。飲みにいくぞ」と仕事は打ち止め。
終電の間際まで飲んで帰宅。
翌朝出社すると「おい。あれどうなった?」。
いやいや、仕事の途中で誘ったのはそちらでしょう? なんて言い訳は通用するわけもなく、できていないので立たされて説教。
書類を投げつけられたり、蹴られたりしたこともありました。
課長との面談は年に1回。
その時も上司の「俺の若い時はこうだった」と武勇伝や体験談を一方的に聞かされ「さすがですね。すごいですね」と答える時間がほとんどでした。
そんな中でも何とか食らいついて仕事の段取りを身につけ、ここまで来たのです。
でも、私の苦労話を聞いてくれる後輩はいません。
というか話す機会さえ与えられません。
そして今後。
来年には会社の人事制度改定が予定されています。
これまでの年功序列は廃止。
若い社員にもチャンスを与え、実績重視で給料を決めていくそうです。
おいおい。
やっと課長になったんだから、部下に「これやっといて」と指示を出し、日中は取引先に挨拶と外に出たり、新聞を読んだりのんびり過ごして...。
そして、部下が出した利益から給料をもらって、これまでの実績の貯金を回収するはずじゃなかったのか。
でも、それはもうかないそうにありません。
逆に人事制度改定で給料が下がる可能性だってあります。
そんな中、長女(15)が高校生にあがります。
お小遣いを稼ぎの為に休日は副業を始めました。
妻も仕事に出始めたので、家事を手伝うようになり、食器洗いと洗濯物を畳むのが上手になりました。
「1on1ミーティング」ではそんな思いは、おくびにも出さず「何か仕事で悩み事はない?」「それであなたはどう考えるの?」と部下に問いかけています。
何歳まで働くのかな? 定年後は働かなくてすむのかな?
常に時代の転換期にさらされてきた我々の世代。
こんな思いで40代の階段を上がっています。
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