<この体験記を書いた人>
ペンネーム:Jenn
性別:女
年齢:52
プロフィール:料理下手。自粛生活でグレードアップした手抜き料理に進化中。
私の住む町から車で1時間の所に住んでいる実母は85才、実父は90才です
運転免許を母が75才、父は88才で返納しました。
一番近いスーパーマーケットは歩いて20分のところにあり、2人とも月1、2 回の病院通いは欠かせません。
2年前、実家から車が無くなる時に、今後の不便を考えて街中のマンションか私の家の近くに引っ越してはどうかと提案しました。
近くに来てくれれば時間に無駄なく手助けできると考えたのですが、両親は長年手入れしてきた庭と離れたくないとの理由で却下。
それで、私が病院の送り迎えをすることにしました。
実家に行くと、ついでに買い物、荷物運び、庭に植えたミカンの収穫、たまには外食と、車のあった生活に戻ろうとしているかのような感じになりました。
親が喜ぶ顔を見るのは嬉しいのですが、2日おきぐらいに行かなければいけなくなり、さすがに私の生活にも支障が出始めました。
そこで、今まで車の維持費にかかっていたお金をタクシー代として使ってほしいと頼み、私の送り迎えは主に病院の送迎と週一回の買い出しのみにしました。
ところが、タクシーは贅沢だという考えが捨てきれないのか、父は雨の日、風の日以外は自転車で買い物に行くのです。
事故が心配なので、タブレットを買いインターネットショッピングを提案しましたが使いこなせませんでした。
そのうち、母がほとんど外に出なくなり、父はみるみる痩せていきました。
テーブルいっぱいに料理を振舞うのが好きだった母、私が独身の頃は、「ちゃんと食べてる?」と毎週のように電話してくれたものです。
それが「食べるものある?」と電話で聞く私に「コンビニのおにぎりと缶詰をお父さんが買ってきた」と答えたのです。
食生活を母に任せきりだった父には、戦中戦後の教育のせいなのか食に無関心だったのか、栄養素や摂取カロリーなどの知識が欠けていました。
何にせよ、こんな食事では栄養が足りません。
私は両親の意向も確かめずに地域包括支援センターに相談し、宅配のお弁当を紹介してもらいました。
しかし、両親は数社のお弁当を試したようですが、味が合わないからとすぐに止めてしまいました。
仕方なく、私が実家に帰った時に料理を作り置きし、湯煎や電子レンジに入れるだけの総菜に自分たちの馴染んだ調味料を足すという手抜き料理を伝授しました。
結局、実家に通う回数は増えていきました。
そして、1年前からのコロナ禍です。
家族や親戚、近所の人とも距離を置いて生活するようになりました。
両親は、できるところまで2人で自立した生活を頑張ると言っています。
父が朝食を準備、母はカタログショッピングで買った半調理総菜に手を加え、食事しています。
冬はまだ暖かい3時ごろに風呂に入り、母が洗濯をして室内に干し、翌日父が洗濯物を外に出し取り入れる。
軽い掃除機を購入して、母が部屋の真ん中だけ掃除し、トイレや風呂は父が行います。
それでもだんだん、母は台所の立ち仕事や後片付けをする体力、気力が衰えてきており、昼近くまで寝込んでいることもあります。
この年でも健康で自立した生活ができていますので、感謝しなくてはならないのでしょうが、生きることで精いっぱいの日々です。
私が行くととても喜んでくれます。
まだ他人のお世話にはならない、私には無理をしない範囲で手を貸してくれというので喜んでそうしています。
今まで通りにはいかなくなって、折り合いを付けたり諦めたりすることが一つ増え二つ増えるのは、近い将来、自分の身にも起こることでもあるのだと考えさせられます。
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