<この体験記を書いた人>
ペンネーム:みけ
性別:女
年齢:51
プロフィール:両親と同じ敷地に住んでいる自営業の51歳。
6年前、私に乳がんが見つかった時の話です。
当時私が45歳、母が72歳でした。
風邪を引いて咳が続いた時にデコルテの辺りをポンポンと叩いていると、コロっとするものに当たりました。
ドキッとして思わず胸を触ってみると、下の方にもコロっとするものが。
不安になり、風邪を診てもらいがてら産婦人科も受け持っている先生に相談してみました。
すると触診をしてくれ「悪性ではない」とのお言葉。
キャリアの長い先生が仰るのだからとほっとしていると、先生は「念の為、総合病院での検査してみたら?」と言うのです。
先生の事信じているからいいよ~と思って帰宅したのですが、母に話したら先生と同じ意見でした。
そう言われると、悪性じゃなくてもコロコロの存在も気になるし、検査しておこうと思えて早速地元の総合病院に行ったのです。
一週間ほど経った頃、母と病院で待ち合わせをして、一緒に検査結果を聞きに行きました。
そして色々な画像やデータを並べて説明され、乳がんであることを告げられました。
進行度は低く、悪性腫瘍でも悪質ではないからと安心の材料も出してくれましたが、手術は必要だとの事です。
説明を聞いている間中、頭の中が真っ白になりました。
大きな病院で更に詳しい検査をするように言われ、機械的に手続きをして帰宅することに。
お金を払って駐車場に出ると、それまで我慢していた感情が爆発して泣き出してしまいました。
雨が降っていたのですが、それも気になりませんでした。
ただ絶望しか浮かんでこないのです。
じわじわと「死」という言葉が浮かんできて、生存率とかマイナスな事だけが頭の中を駆け巡っていました。
そんな私を、普段、くよくよしたり弱さを見せることを嫌悪し、他人にもそれを求める母が、雨の中をじっと私の肩を抱き泣き止むまで一緒にいてくれたのです。
高校受験の日に熱を出して思うように試験が出来なかったとベソをかく私に「今さら泣いてどうなるの?」と冷ややかな目で見詰めるような母が、です。
そのうえ、慣れた車以外は運転したくないと常々言っているのに、私の車の運転も心配して「車は後で取りに来てあげるから、一緒に帰ろう」と何度も言ってくれました。
そして帰宅後、食事もとれず1人で部屋で泣いていると母から「今は何も考えられないだろうけど、お医者さんと相談しながら一緒に乗り越えて行こうね」とメールが。
初めて寄り添ってもらえていると感じました。
嬉しいような申し訳ないような複雑な気持ちでしたが、間違いなく戦う勇気が出ました。
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