<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ゆり
性別:女
年齢:44
プロフィール:片づけが苦手な専業主婦。同い年の夫と2人の子どもの仲良し4人家族。実母との微妙な関係に悩む。
私(44歳)と実母(72歳)との関係は、一見とても良好です。
母も周りの人達からはよく娘(私)との関係を羨ましがられるそうで、そういう話をする時はどこか得意気にしています。
ですが、その都度違和感があります。
母に対しては長い間、色々と葛藤がありました。
私は実家での生活の中で、イライラしてはかんしゃくを起こしていました。
イライラの正体は分からないまま、結婚して家を出ました。
しばらく母に会いたいと思うことはありませんでしたが、子供が生まれてからは、孫を可愛がってお世話をしてくれる中で、自然と母へのわだかまりのような違和感も消えていきました。
しかし2人の子供を育てていく中で、また母に対する複雑な思いが沸き起こるようになりました。
母は私のことをどれだけ真剣に考えてくれていたのだろうかと。
小さい頃、母は私に習い事をいくつもさせていました。
私の将来のことを考えていろいろ経験させてくれたのだろうと思いますが、私の習い事について母が関わったことはありません。
よくできたね、という誉め言葉や、もう少し頑張りなさいという叱責などを受けた記憶がないのです。
唯一ピアノの発表会では終わった後に「上手だったね」とは言われましたが、どんなに練習不足の酷い演奏でも、「間違えたの? 分からなかったわ」と言われて終わりです。
母なりに励ましてくれたのかもしれませんが、普段から無関心な母が言う言葉をまともに受け取ることは出来ませんでした。
母は勉強をしろとはうるさく言いませんでしたが、明らかに子供達が高学歴であることを望んでいました。
その証拠に、成績が良くない私は「あなたは勉強の要領が悪いから、伸びないのね」などと言われていたのです。
今思えばもう少し勉強を頑張って欲しかったのでしょう。
その割に、普段は口出ししない母が私の進学先を勝手に決めました。
高校も大学もです。
この学校に行くとあなたが駄目になるから、とかこの大学に行っても就職など将来性がないからなどという母の持論を展開されました。
もう少し成長してからは、夜通し遊んで朝方に家に帰るようになった私に、朝方は目立つから昼に帰ってくるようにと言いました。
ファッションについては、母には理解できないものは露骨に嫌な顔をされました。
私は現在子育て中の身ですが、子供の健康や将来のことを考えると、とてもあのような放任には出来ません。
手をかけすぎるのは良くないですが、我慢と忍耐を繰り返しながら、ひと時も子どもから目を離すことは出来ません。
習い事や勉強は子どもがやる気を持って取り組めるように、できるだけ励ますようにしていますが、時には感情的に叱ってしまったりと失敗もします。
でも、真剣に考えるからこそ怒るのだし、それが普通ですよね?
だけど、母から感情的に叱られたという思い出はありません。
母にとって子育てとは、一体何だったのでしょう。
今は老後の生活を大満喫して幸せそうにしている母に、そんなことはもう聞けません。
私は今日もニコニコしながら、母が喜びそうな話をしては会話を楽しんでいます。
その気持ちに嘘はありませんが、心のどこかに引っかかりは抱えたままです。
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