<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ももこ
性別:女
年齢:39
プロフィール:20歳以上歳の離れた夫と二人暮し。同年代よりも一足先に高齢者問題に直面しています。
86歳になる自称「お嬢様育ち」の義母は、義父を亡くして20年近く1人で暮らしています。
結婚当初から義母の言動に、「少しマイペースな人なのかな?」という印象はありました。
ところが、5年程前に義母が体調不良で入院して以来、マイペースというよりもわがままな性格が目立つようになり、悪いことに年々エスカレートしていきました。
最初の入院での上げ膳据え膳に味をしめたのか、健康なのに懇意の医者がいる病院へ「静養」と称し入院しては、退院後に我が家に滞在することを繰り返す様になっていました。
初めは、私も出来るだけバランスの良い食事を出すように心がけ、体力作りにと散歩を促して付き合っていました。
しかし、我が家での生活に慣れてくると、次第にわがままぶりに拍車がかかっていったのです。
散歩は「だるいから」と拒否し、コンビニでお菓子を買ってきては寝そべったまま食べ、入浴も拒否することが増え、一日中布団でゴロゴロするようになっていきました。
注意をすれば「年配者を敬わない!」と激昂します。
別の病気でもあるのかと病院で診てもらいましたが、悪いところは無く、医者からも「ただのわがままです」と面と向かって言われてしまう程です。
一番困ったのは食事で、同じ食卓につくのが苦痛で仕方ありませんでした。
私の作ったものはサラダであっても一切箸を付けてくれません。
「私は関西出身だから関東の味は口に合わない」
「関東の人は味が濃い」
「あなたは下町育ちだから...」
お義母さん、人生の大半、50年近く関東暮らしですよね?
口を開けば私への嫌味しか出てきません。
義母が一人暮らしの時は冷凍食品やスーパーのお惣菜を買って食べていたので、仕方なく買ってきたものをお皿に盛り付けて出したりもしました。
それでも、一切手を付けて貰えず「もしや?」と思った私が後日パックのまま出すと完食するのです。
そして、食後は決まって「お宅は食が貧しいのね」と説教が始まります。
義母の好物と言えば、うなぎ、刺し身、ローストビーフ。
滞在中の費用は一切貰っていませんし、とても毎日出す訳にいきません。
見兼ねた主人が少しでも注意しようものなら、激昂して「私に死んで欲しいんでしょ?」と怒鳴り散らす始末です。
義母の滞在中は毎日がこの調子なので、主人も私も日増しに疲弊して、限界が来ると、お引取り願う形で義母に帰ってもらっていました。
これが、年に一回から半年に一回、更に頻度が増していきました。
去年はあまりの雰囲気の悪さにペットが体調を崩してしまい、ずっと我慢していた主人も「家庭崩壊してしまう。もう二度と家には来させない」と激怒。
今年初めの入院後は、義母の年金で賄える老健施設をやっとのことで探し出し、何とか言いくるめて、退院したその足で入所して貰うことが出来ました。
これでようやく一件落着...と思いきや、今度はコロナ禍でその施設が外出禁止になってしまいました。義母は施設から外に一歩も出られない状況に陥ってしまったのです。
入所している労健施設は支払いが現金のみで銀行引き落としが出来ず、結果、施設費を我が家で肩代わりすることになってしまったのです。
我が家に滞在していた時に一銭も費用を支払ってくれなかった義母のことですから、肩代わりしている施設費が返ってくるとはとても思えません。
払えない額ではありませんが、ジワジワと施設費が家計を圧迫してきています。
もっと費用の安い施設に移動してもらいたくても、コロナの感染対策で新規に受け入れてくれる施設もありません。
おまけに、可処分所得は義母の方が多い事が分かり、何とも言えない気持ちです。
せめて義母との関係が良ければ我慢も出来ますが、これまでのことを思い返すと、あんな義母のために、いつまで払い続けなければいけないのかとモヤモヤします。
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