<この体験記を書いた人>
ペンネーム:Baltan
性別:女
年齢:56
プロフィール:海外在住25年、バツイチ独り者。人生の失敗の数々を回収すべく奮闘中です。
今年、義父が亡くなって10年になりました。
私は46歳まで、オーストラリアに住んでいました。
義家族はオーストラリア人。
秋の夜長に物思いにふけりながらウイスキーを飲んでいたら、よく一緒にウイスキーをちびちび飲みながら語り合っていた義父のことを思い出したんです。
私は27歳で婚約したのですが、生活費節約のため義実家に同居させてもらっていたこともあり、嫁というより娘の様に可愛がってもらってました。
生真面目な義母との付き合いは緊張感がありましたが、義父はユーモラス、何があっても笑いに変えてくれる心の広い素敵な人で、私は義父の大ファンでした。
まだ海外の生活に慣れなかった私にいろんなことを教えてくれて、私が作る日本食をいつも喜んで食べてくれたものです。
10年前に、私はいろんな理由から離婚を決めたのですが、その時、義父はガン宣告を受けて治療を始めていたんです。
それまでの自分なら、絶対に大好きな義父を置いて自分勝手なことなんてしなかったはずです。
それなのに、人生で一回だけタガが外れてしまっていた当時の私は、義父のことなどお構いなしに家を飛び出して欧州に行ってしまったのです。
数カ月後、元旦那から義父がどうしても私に会って話しておきたいことがあるから来て欲しいと連絡を受けました。
挨拶もできずに出てしまった不届き者の嫁で、正直なところ、会うのは怖かったです。
だけどそう長くはないと言われたらしい義父にもう一度だけ会いたくて、片道25時間の飛行時間をかけて恐る恐る駆け付けました。
自宅療養に切り替えた義父の家には、怖い顔で睨みつける義母が待ち構えていました。
「こんな時に家を出ていったなんて信じられない! お父さんがアナタと話したいというから...」
そう言ってしぶしぶ部屋に私を通す義母。
義父は骨と皮にやせ細ってはいましたが、それでも懐かしい笑顔で両手を広げて私を迎えてくれました。
義母が紅茶でも、と立ち上がるのを私はやんわり断ったのですが、「自分も久しぶりに紅茶を飲みたい」と義母を促す義父。
2人きりになった隙に、義父が私に掛けてくれた言葉は信じられない内容でした。
「君は、今まで我慢してできなかったことを思い切りやりなさい。息子(旦那)には僕がちゃんと言って納得させるし、家族にも言って聞かせるから心配は要らない。ただ、2つのことだけ約束して欲しい。今回のことで、オーストラリアを嫌いにならないで欲しいんだ。それから、君のオーストラリアの家族とずっと縁を切らずにいて欲しい」
そうしてしっかり私を抱きしめてくれた義父は、その1カ月後、家族に見守られながら旅立ったと連絡がありました。
葬儀にもまた25時間かけて駆け付け、参列しました。
約束通り、今でも義母、義姉とは連絡を取り合っていて、私の大切な家族です。
最近、色んな事がうまく行かなくて自暴自棄になりがちだったのですが、10年という節目にあたり、あの時の義父のことを思い出しました。
命の灯が消えようとしているのに私の背中を押してくれた義父の気持ちを胸に、もうちょっと頑張ってみようかな、とウイスキーグラスを傾ける夜でした。
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