<この体験記を書いた人>
ペンネーム:とらとら
性別:女
年齢:51
プロフィール:51歳の兼業主婦。最近卵焼きを焦がしてしまい、ふと亡くなった父のことを思い出しました。
私は今年51歳になります。
5年ほど前、私は実父をガンで亡くしました。
享年71歳でした。
実母(現在76歳)は父を亡くしてからしばらく元気がなかったのですが、ここ1、2年でようやく習い事などに出かけるようになり、この間ようやく一緒に父の遺品整理を行いました。
父は本をたくさん読む人で、書斎があり、私はその本の整理をしていたのですが、時代小説や自己啓発本の中から一冊だけ「お弁当作りの本」が出てきました。
父はどちらかというと昔気質な人で、あまり家事はしない人でした。
友人の中には父親が料理好きで、たまに台所に立って晩御飯を作ってくれるという話を聞いたこともありますが、私はそんな話を聞いた時にも、父が母の代わりに夕飯を作る姿など想像すら出来ないほどでした。
なので「なんでこんなところにこんな本が?」と最初は首を傾げて眺めていましたが、三角に折りこんでいるページに気付いてめくってみると、卵焼きの入ったのり弁の写真が出てきて「あぁっ!」と声を上げてしまいました。
実は昔一度だけ、父が私にお弁当を作ってくれたことがあるのです。
それは私がまだ小学生の頃のことでした。
当時母が骨折してしまい数日入院しなければならなくなったことがありました。
私の通っていた小学校は基本的にお昼は給食があったのですが、月に一回だけ『お弁当の日』という給食が無く、自宅からお弁当を持って行かなければならない日がありました。
そしてちょうど母の入院中にその日が被ってしまっていたのです。
私はまだ幼かったため1人で包丁や火を使うことが許されておらず、まだ料理と呼べる物を作ることができませんでした。
母の入院中は、ずっと父がお惣菜やお弁当を買ってきてくれて食べていたので、私は子供心に「お父さん、私のお弁当どうするんだろう」と思っていました。
しかし、お弁当の日の朝起きると机の上に私のお弁当が巾着に包まれておいてあったのです。
「お弁当があるっ! お父さんが作ってくれたの? ありがとうっ」
私はびっくりして叫んでいました。
「そりゃお弁当の日やからお弁当あるに決まっとるで」
父は新聞を読みながら当たり前のように言っていましたが、今思えばちょっと照れていたのかもしれません。
母のお弁当に比べると、中はウインナーと卵焼き、ご飯に海苔がしかれているというシンプルなもの。
他の子が持ってきているカラフルなお弁当に比べたら見劣りしましたが、私は「お父さんが作ってくれたの!」と喜んで食べた記憶があります。
後にも先にも実父の料理を食べたのはあれ一度きりです。
でも、母親に頼まれたのか自分で気づいたのかは分かりませんが、お弁当の日のためにこんな本まで買ってお弁当を作ってくれたのかと思うと、すごく温かい気持ちになりました。
やはり写真のお弁当の方が綺麗ではありましたが、私は一生懸命作った様子の伺える、ちょっと焦げた卵焼きの味は今でも覚えていますし、この先一生忘れないと思います。
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