<この体験記を書いた人>
ペンネーム:Baltan
性別:女
年齢:55
プロフィール:海外在住の55歳バツイチの独り者。いろんな失敗を回収しつつ奮闘中です。
ちょっとした懺悔になるかもしれません。
現在55歳の私が外国人の夫の元を飛び出して離婚したのは、10年前の45歳の時でした。
出会ってから5年で結婚、その後15年の結婚生活。
20年間を一緒に生きてきた人とまさか自分が離婚することになるとは思ってもいませんでしたが、ほぼ衝動的に決意してしまったんです。
残された彼にとっては、全く「寝耳に水」の申し出だったろうし、飛び出して違う国に行ってしまった私自身が、自分の破壊的行動力にショックを受けるほどでした。
私が仕事をすることにいつも難色を示し、家にいて欲しかった彼との間にはいろいろあって子供が出来ませんでした。
このままでは、「本当にやりたかった仕事」の事ばかり考えて、一生を終えることになるのでは...そんな恐怖を感じてしまったんですね。
他にもいろいろ理由はありますが、後で考えてみると、更年期に私が感じていた焦燥感がパンパンになるくらい膨れ上がっていたのかもしれません。
とにかく、私は大きな仕事を求めて、別の国へと移動したのです。
45歳にして新しい仕事に挑戦といういばらの道を、新しい人生としてそのまま突っ走ってしまいました。
私がいた国は離婚に関しては日本とは大きく違い、5年以上結婚生活が続いていれば、「よく5年も結婚生活を続けました」となり、片方が申し出るだけで問題なく離婚が成立します。
財産分与もきっちり50%ずつとなりました。
それでなくとも、元旦那はなるべく私に有利になるように処理を進めてくれて、相当な金額を受け取りました。
1人で生きていくのは大変なんだから、それで将来のために家を持つようにしてくれ、という助言までもらったのに...。
新天地で私が起こした事業は、振り返ると「暴走」としかいいようがないもので、当然のように悲惨な結果しか残しませんでした。
切り詰めた生活を計画的に送ってきた自分が、まるで別人のように貴重なお金をあっという間につぎ込んだ挙句、失敗したのです。
なんとか立て直そうともがいていた時、あろうことか元旦那にお金の無心までしてしまいました。
今なら考えられない自分の酷さは当然彼を怒らせてしまいました。
しかし翌日...。
「君が困っていると思うと寝られなかった」と、元旦那はいくらかのお金を振り込んでくれたのです。
本当に私のことを思ってくれる、心から優しい人でした。
それでもどうにもならず、最終的に事業は手放し、その時に負った借金を6年経った今も少しずつ返している生活ですが、本当に自業自得以外の何物でもないです。
離婚が成立してからも、彼と仲の良かった私の両親を気遣ってくれ、「自分の代わりに私を見守ってやってください」というメッセージと、いくらかのお金を送ってくれ、iPadまでプレゼントしてくれたそうです。
こんな痛い目に合わないと、私は自分の力量や思いあがった考え方が身に染みてわからなかったんだと思います。
彼には、世界で一番幸せになって欲しい、とずっと祈ってきました。
色々大変だったようですが、今では再婚し、念願の子供も授かったと連絡がありました。
私の親とは年に数回連絡とっているようで、逆に私も彼の親と年に数回メールでやりとりしている関係は続いています。
周りを傷つけてしまった私の決断と行動が正しかったとは思っていません。
でも、よかったこともあったよね、と言えるように、あの時選んだ道を頑張っている今日この頃です。
人生を二回分味わっていると思えば、前向きに進んでいけそうです。
人生を終える時に後悔しないように。
関連の体験記:ああ、見てしまった...私が介護する86歳の義母が、介護を手伝ってくれない義姉に「こっそりお金を渡す姿」
関連の体験記:離婚した娘の子供の面倒を見る私。叱りつけた孫が持ってきた「あるもの」に涙が...
関連の体験記:心がザワつく...。父が70歳で退職後、歯車が狂いだした両親。「離婚したい」と言う母に理由を聞くと...⁉
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。