<この体験記を書いた人>
ペンネーム:Baltan
性別:女
年齢:55
プロフィール:海外在住の55歳バツイチの独り者。いろんな失敗を回収しつつ奮闘中です。
4年前、海外在住の私(当時51歳)がビザの切り替えで数カ月日本に帰国した時の話です。
せっかくなのでバイトをしようと思い立ち、ちょうど年末年始の商戦期で募集していたデパ地下のお酒売り場での販売の仕事が決まりました。
そこから遡ることさらに6年前、45歳の時に外国人の夫との離婚が成立していましたが、手続きのために帰国もしなかったため、タイミングを逃して外国姓のままになっていた私。
仮に「スミス」としておきましょうか。
戸籍もパスポートも「スミス」だったため、登録もそのままでなければいけないとのことで、渡された名札は「スミス」。
女性ばかり8人ほどだったその職場では、注目の的にならないわけがありません。
「あら、どこの国から?」
「いいわねえ、また外国に戻るの? 一時帰国中だけのバイトなの?」
「向こうでは何をしてるの?」
などなど、質問の嵐でしたが、どこかその言葉や表情には、冷たいものが感じられて...。
30年級の大ベテランの方もいるような百戦錬磨の女性ぞろいの職場に、西洋かぶれの女がふらっと入って来たぞ。
そんな風に思われているようで、ちょっと恐縮してしまうという状況でした。
その厚い壁のようなものを崩してくれたのは、こんなやり取りでした。
「旦那さんも一緒に日本に来てるの?」
「いえ、離婚したので...まだ名前を戻す暇もないままで...」
「え、そうだったの、大変だったのね!」
「大丈夫、私も若いころに離婚したけど、今は本当に良かったと思ってるのよ」
などなど一気に私を気遣う優しい言葉の嵐となり、雰囲気が変わったのです。
それ以降、若い時に日本を離れたせいもあり、全く知識がなかった熨斗紙のこと、祝儀、不祝儀の包み方の違いなど、「そんなことも知らないの⁉」と叱られそうな日本の常識も、丁寧に優しく教えてもらえました。
「こういうきめ細かい日本の文化を、ぜひ海外の人にも教えてあげて欲しいわ」
そう言って説明書を印刷してきてくれたり、お土産にしてと日本の和小物まで持って来てくれたりと、優しい心配りをいただいて、幸せな時間を過ごすこともできました。
離婚などの弱みって、どうしても隠してしまうものですが、それが本当の気持ちのやりとりをブロックしてしまうことがあるのかもしれないなと実感しました。
私が離婚したことを隠していたら、あんなに良くしてくれなかったかもしれませんし、いろんな人生経験を聞かせてもらうこともなく終わっていたかもしれません。
自分の弱みを見せることで相手も見せやすくなり、本音の付き合いができること、遅ればせながら私はこの時に学びました。
強がっているだけが人生じゃないなと。
ずっと甘えちゃいけないと意地を張っていた自分ですが、みなさんも、ちょっぴり弱みを開放してみませんか。
今までと違う展開が待っているかもしれませんよ。
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