娘の私には「がん」を伏せていた父。亡くなるまで、ただただ見守り続けた「入院生活」の思い出

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:とらとら
性別:女
年齢:51
プロフィール:51歳の兼業主婦。実父をがんで亡くしてから、がん検診は欠かさず受けてます。

娘の私には「がん」を伏せていた父。亡くなるまで、ただただ見守り続けた「入院生活」の思い出 10.jpg

今年51歳の私は、実父を数年前にがんで亡くしました。

実父は30代の頃に胃がんになり、胃を半分摘出する手術をしています。

そこからはありがたいことに術後の回復も順調で、再発することもなく元気に暮らしていました。

ただ両親はまだ幼かった私に対しては父の病名を「胃がん」ではなく「胃潰瘍」だと両親は告げていました。

私も何も疑うことなく、術後しばらくは流動物しか食べられなかった父にゼリーやプリンなどを手渡していたのを覚えています。

そして今回も両親...特に父の意向らしいのですが、父が入院するまで、私は父が「がん」ということを知らされていませんでした。

父が入院したのは亡くなる2カ月ほど前。

でもその半年前に健康診断で肝臓がんが見つかり、それもステージ4まで進行してしまっていて、医師からは余命3カ月だと診断されていたそうです...。

父が入院するまで、元気なものと思い込んでいた私は、それを聞いて愕然としました。

父としては胃がんの時は「手術すれば治る予定なのに、幼い娘にがん(死ぬかもしれない病気)だとわざわざ教えなくてもいい」と考えていたそうです。

そして今回も「嫁に行った娘に余計な心配をかけたくない」という思いだった、と後になって母から聞きましたが、少なくとも私はもっと前に知らせておいてほしかったと思いました。

もう過ぎたことではありますが、入院前に知ることが出来ていれば、何かもっと父にしてあげられたかもしれない...と後悔のような思いが、未だに私の胸に残っているんです。

父が入院してからは、母と私で病院に泊まり込んだりして、父と一緒に過ごしました。

ただ、日増しに弱っていく父に何もできず、歯がゆさも感じていました。

最初の頃は新聞を読みながら「そんな大げさに毎日来んでもいい」と言っていた父でしたが、次第に痩せていき、日課の新聞すら手に取らなくなりました。

そのころには手首は私よりもずいぶん細くなっていました。

食事ものどを通らなくなっていき、最後に父が食べ物のことを口にしたのはアイスクリームでした。

「アイスクリームが食べたい」と聞いた私はすぐに父が良く食べていたカップアイス買ってきて、匙ですくって口元に運ぶと、一口だけ食べた父は「ありがとう」とかすれた声で笑いました。

そのあとすぐに父は意識がなくなり、薄目を開けているのかいないのか、こちらが見えているのかいないのか、わからない状況のまま荒い息をただ繰り返していました。

最初から延命治療は断っていたので、別段薬が投与されるわけでもなく、点滴と尿を取り出す管だけが繋がれた父の手を掴み、私や母はただただ眺めていることしかできませんでした。

それから2日後の深夜。

父は息を引き取りました。

私も母もその後のお通夜やらお葬式の準備で慌ただしく、ようやく一息ついたのが初七日の後でした。

そこで母と、父は最後まで「しんどい」とは一言も言わなかったね...と話をしました。

昔から厳格な人で、私もあまり甘やかされた覚えがないのですが、最後まで昔気質でその分強い人でもあったなと思います。

今年も、命日には実家に帰り父に手を合わせたいと思います。

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