毎日が発見ネットの連載で「キッチン夫婦(妻)」としておなじみのべにゆうさん。彼女は40歳の時、14歳の息子がいる夫と結婚、以来、8年間にわたって生活を共にしてきました。ある日、中学2年生の多感な男子の母親になる――。継母としていろいろな出来事や、想いがあったと言います。今回は夏の特別連載として、10日間連続で「40歳の女性が、ある日、14歳の継母になった物語」をお送りします。
【前回】継母の私が初めて息子に触れた...「忘れられない瞬間」
【最初から読む】40歳だった私が「14歳男子の継母」になることを決めた日/14歳男子の継母になった私(1)
「お母さん」ってなんだろう。子宝に恵まれなかった私が抱く2つの感情
私は40歳の時に夫と結婚し、その14歳の息子と3人家族になった。
息子は産みのお母さんと普通に連絡をとっていて、お母さんは息子の誕生日にはプレゼントを郵送してくれたり、入学や就職などの時はお祝いをしてくれていた。
きっといい人だと思う。
ここ数年の間、私にとって「お母さん」という言葉が2つの意味で自分自身を問い直す言葉として存在していた。
まず1つ目は、自分が子供を授からなかったこと。
40歳で結婚した時点で妊娠の確率は低く、妊娠したとしても様々なリスクが高いのはわかっていたが、それでも妊娠、出産を望んでいた。
結果としては子宝に恵まれなかった。
私の人生って赤ちゃんを授からない人生だったんだ......と実感した時、怖くなった。
私は"お母さん"というものにはなれなかったんだ。
こうやって人生の方向が決まっていくことをはっきりと認識した瞬間、ちょっと怖かった。
子供を授かるか授からないかの大きな違い。
今でも時々、子供欲しかったなぁって思ってしまう。
その度にいや、子供はいるから、産んで育てたかった。と自分の心の中で言い直す。
2つ目は、息子との関係。
夫と結婚したことで、ありがたいことに私にも息子ができたが、息子にとっての"お母さん"というものの存在。
夫の連れ子である息子との養子縁組は2019年の4月、息子が20歳の時で、戸籍上私は育ての母親になった。
息子は私のことを"さん"付けの名前で呼ぶし、私は息子を"君"付けで呼ぶ。
結婚して間もなくの頃、3人で夕食を食べている時に息子が「お母さんがさ.......」と普通に話し始めた。
お母さんの話をして欲しくないとは全く思っていなかったので、かまわなかったのだが、夫が焦って、食事の後で「ごめんね、あいつ、まだそういうところ子供なんだよね」と言って軽く謝ってくれた。
そう、ここでの「お母さん」とは私のことではない。
息子の産みのお母さんであり、息子にとっては一生「お母さん」である人のことである。
結婚して間もなくの頃、夫に言われたことがある。
「この結婚に賛成してくれているY(息子)だけど、『俺の"お母さん"は今のお母さん一人だけだから』って言うんだ」
それはすごく当たり前にも聞こえたし、私の心は納得したけど、胸の奥に何かが突き刺さりずっと存在していた。
純粋な分だけ、当たり前だと思えるだけに、突き付けられた変えようのない事実として、胸の中に存在し、時々私をざわざわさせた。
息子が言ったその言葉を夫から伝え聞いた時は、「うん、それはそうだよ!」ってうなづいたけど、心の中ではたぶんずいぶんざわざわしていたんだ。
その場では平常心だったわりには、お風呂に入っていたら涙が出た。
一人になったら泣いていた。
自分ではなんで泣くんだろう......と思っていた。
それは夫と息子から「あなたは"お母さん"ではないからね」と断わりを入れられたように感じてしまったからかもしれない。
二人が全くそんなつもりで言ったわけじゃないと知っていても、私の心はどこかで止まっていた。
そしてこのことは、その後も私の中でいろんなことを邪魔することになったので、むしろ教えないでくれた方が良かったかも知れない。
もちろん、夫も息子も誰も悪くない。
その後2度くらい息子の口から「お母さんが」という言葉を聞いた。
お母さんがなんらかの連絡をくれてそのことでお父さんに報告するのに話していた。
お母さんとは連絡とっていいし、会った方がいいし大事にして欲しいとも思っている。
たぶんそれは息子のためになる。
ここはちょっと複雑だが、強がりではなく私が「お母さん」と呼ばれたいわけではない。
"呼び名"なので、もし息子が「お母さん」って呼びたかったらそう呼んでもらっていいし、違う感じだったら今までのようにそしてずっと名前で呼んでもらってていい。
これを言うと、きっと人によっては、"自分からそうやって距離を置いてるのでは?"と思われてしまうだろう。
夫もきっと"冷たく聞こえるんだよね"て言うだろうが、どう説明したらいいかよくわからないが本心ではある。
一方で、親というものの責任の重さやお母さんという存在の尊さに思いが強すぎて、「自分にはふさわしくない」と逃げ道を作っていたのかも知れない。
そして「お母さん」と言う言葉を自分が気にしてると感じてから...、「お母さん」という言葉は、私にとって「聞きたくない言葉」になっていた。
テレビから聞こえてくる「お母さん」という音にすら、嫌悪感を覚えていた。
どうした、私.......。
誰からも攻撃されていないのに。
そんなはねつけるような言葉じゃないのに。
こういう自分をすごく未熟だと感じます。
しかしそんな「お母さん」という言葉が、私達家族の中で徐々に変化し始めるのだ。
次は家族3人で行った旅行の話をしようと思う。
3人共通の思い出ができ、一緒の写真が撮れる旅行。
私、そして夫にとっても3人で旅行へ行くというのは大切なものだった。
この話はまた明日。
つづく
【次回】家族の姿を形に残したい...嫌がる息子と撮った「家族旅行の記念写真」/14歳男子の継母になった私(6)
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