毎日が発見ネットの連載で「キッチン夫婦(妻)」としておなじみのべにゆうさん。彼女は40歳の時、14歳の息子がいる夫と結婚、以来、8年間にわたって生活を共にしてきました。ある日、中学2年生の多感な男子の母親になる――。継母としていろいろな出来事や、想いがあったと言います。今回は夏の特別連載として、10日間連続で「40歳の女性が、ある日、14歳の継母になった物語」をお送りします。
【前回】40歳だった私が「14歳男子の継母」になることを決めた日
沈黙の食卓にしたくない!気合を入れて挑む息子と二人きりの夕食
私は40歳の時、8歳年上の夫と結婚した。
夫は再婚でその息子14歳との3人暮らしが始まった。
息子とは結婚前3回しか会ったことがなく、どんな毎日になるが想像もつかないまま一緒に暮らし始めた。
それから何度も"どうしよう......."とか"なんて言ったらいいかわからない"という場面があったが、最初に感じたのは食事の時だった。
当時夫は仕事で県外に車で往復する毎日。
私と息子も困るだろうと気を遣い、時間を調整して夕食の時間に間に合うように帰宅してくれていたが、お客さんの都合でどうしても遅くならざるを得ないときもあった。
「悪いんだけどさ、Y(息子)と2人で先に食べててくれる?」
夫不在のこんな時、私には事前の準備がある。
①息子の好きな料理にする
②息子に疑問形で聞ける話題を見つけておく
いつもより色々考える夕飯準備。
息子が好きなものにしなきゃ!ぜぇーったいに美味しく最後まで食べてくれるもの作らなきゃ!そうしないと気まずさに輪がかかる。
「沈黙すぎる食卓」にするわけにはいかないんだ!と、気合が入る。
しかし息子の好きなものと言っても、当初は好き嫌いを全くと言っていいほどわからず大変だった。
「何か食べたいものってない?」と最初の頃は聞いていたが「んーなんでもいい」がほとんど。
その度に(遠慮なのかなぁ・・・教えてくれたらいいのになぁ。まぁ遠慮させてしまう私も悪いかぁ)と思っていた。
好みがわからないので、自分が美味しいと思う料理を作っていたが、あんまり好まれず残されたような記憶がある。
手も付けてくれない時もあったし、残されるとなんだかんだ言ってもやっぱり悲しい。
40歳の私は、急に子供が好む料理なんて思い浮かばなくて困った・・・
子供のいる人に聞く、そして検索&検索でなんとか乗り切ってきた・・・が、献立を考え決めるにも馬鹿みたいに時間がかかりすぎていた。
息子は好きな食べ物から食べ始め、たいていは最後に好きじゃなさそうな食べ物へ。
苦手な物だと、あれぇ.......これはスローモーションか静止画像を見ているのかな?ってくらい超遅い食べ方になる。
「食べれないなら残しても良いから、何か言って」というセリフは、何度も心の中でつぶやいた。
ため息つかんばかりに、というか実際にため息をついて、料理を目の前に固まっていたこともある。
あまりにも遅いとイライラしてしまう私。
「あ、苦手なのあった?」と聞く時もあったが、本心を言うと"男なら自分から言え"と思ってしまう。
息子がいない時に、夫に言ったことがある。
私「Y君、好きじゃない料理の時、すんごく食べるの遅くなって結局食べれないさ。まぁ私に気を遣って難しいのかも知れないけど、固まるくらいなら食べれないってことを自分で言うって無理なの?」
夫「ん~俺もそうは思うんだけどね、あいつも気遣ってんだよ。まず、出されたものは残しちゃダメだってずっと実家でも言われてきたんだ。だから食べなきゃいけないと焦るけど、好きじゃないものの時は進まなくってあぁなってるんだと思うんだよね」
私「まぁそれは、私も出されたものは残しちゃだめっていうのが良い考え方だと思うよ。基本的には残さず食べるのがいいと思うし、他のどこかで食べる時にもそうして欲しいけど・・・・。けどさ、あのくらい止まってしまう感じなら、自分で何かしら言わないといけないんじゃないの?」
夫「そうだとは思うよ。でも言えないんだよ。聞いてやるしかないかな」
私「う~ん。聞くようにするよ。でもだんだん自分から言えるようになった方が本人のためじゃない?」
このくらい息子のことを真剣に話していると、夫はいつも息子をかばうモード全開になり、やや攻撃的になってくる。
夫「あいつだって、残したくはないんだと思うよ!」
私「はい......うん。それはわかる.....まぁ口に合わない料理を出す私が悪いんだけど......」
夫「いや、美味しいよ!まだ子供なんだよ。聞いてあげて。」
私「聞くけどぉ、でもやっぱり小さい子じゃないんだから、自分から言った方がいいと思うんだよね」
夫「・・・・・・・・」
夫、悲しげ、もしくは納得いかない表情になる。
私、この辺で止める。
そういう話を夫とはしたので、息子が高校2年の時までは、食事時スローになりかけていたら、「あ、苦手?」とか「好きじゃなかったら残していいよ」「多かったら残してね」とか、私か夫が声をかけるようにしていた。
ただ聞かれる前に、自分から言って欲しいという私の思いは変わらなかった。
そして私は、息子の食べ物の好みをおおよそ把握するまで何年もかかっていた。
ほんとずいぶんかかった。
息子に料理を作るのがそんなに気構えしなくて良くなったのは、もしかして今年に入ってからかも知れない。
現在21歳の息子、あれから約8年。
そういえば去年あたりから食の好みが広くなったのか、スローモーションがだいぶ減り、私は息子に料理を出すのが楽になってきていた。
それと、息子は呼ばれれば毎回食卓について「いただきます」と「ごちそうさま」をちゃんと言ってくれていたので「ありがとう」と思っている。
そして「沈黙の食卓」を避けるために大事な準備がもう1つ。
会話の題材を用意しておくこと!
息子から私に会話をふってくれることはほぼなかったので、私が疑問形で聞く。
しかし息子、普通に答えてくれるが、その次の会話に続けてくれない。
やってくる沈黙・・・・・・
思わず咳払いが出そうな沈黙・・・・・
黙々と食べるしかない食卓・・・・
息子にはちょっと申し訳なかった。
私は話し下手だ。
もっと上手に話を聞き出せるタイプだったらなぁと今でもずっと思っている。
しかしそんな私がしゃべるしかないという食事の時間は、二人だけだとお互いに長く感じてしまった時も少なくなかったはず。
そんな中でも救世主はテレビだった。
話題をなんとか引き出すために、テレビをつけたまま食べることにしていて、まぁもちろん、事前に番組表をチェックして、息子と私が一緒に観てても差しさわりがない内容かとか考えてチャンネル選択もしておく。
一番印象強く残っているのは、息子が初めて多めにしゃべってくれた時のこと。
夫がおらず、私と二人の食事の時にTVでカラオケをやっていた。
私「Y君はカラオケってするの?」
息子「うん、嫌いじゃないからたまに行ってたよ。あ、ちょっと前に行ったんだよねお父さんとかと」
私「え~いいねぇ!!」
息子「でも俺はもうお父さんとはもう絶対、一緒にカラオケには行かないと思った!」
えっ.....お、お父さんが聞いたら泣くよ.......!?
せっかく初めて長めの会話ができたのに、その内容が「お父さんとはもうカラオケに行かない」だとは、わりと衝撃的。
このことは夫にはしばし内緒にしていた。
だって息子を大好きな夫が悲しむから........。
一緒に暮らし始めて最初の頃、食事の時間は毎日のように困っていたけど、それとは別に「週1でちょっと困ること」が起きていた。
なんとこんな私が息子に英語を教えることになったのだ。
気楽に引き受けたものの後々想像以上に"大変だぁ~"となることに。
そのお話は次回また。
つづく
【次回】しんどい...。継母としての遠慮にまみれた「息子への家庭教師」/14歳男子の継母になった私(3)
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