<この体験記を書いた人>
ペンネーム:konohana
性別:女
年齢:53
プロフィール:53歳の専業主婦です。55歳の会社員の夫と20歳の大学生の息子と3人暮らしです。
父が亡くなったのは、息子が生まれて3カ月たった頃でした。
65歳、脳腫瘍でした。
会社の脳ドックで見つかり、全く自覚症状がなかったのですが、悪性で医師から「余命5年」と言われたそうです。
家族も、余命を聞かされても症状がないので、何かの間違いなのではないか? と思いたくなるような状況でした。
父はさほど深刻な顔もせず、普段通り過ごしていました。
しばらくは会社にも行っていたし、退職してからも碁会所に通うなど、マイペースに過ごしていました。
余命5年と言われているのに、あまり気にしている素振りもないので、当時は父の心境を深く思いやることができませんでした。
きっと父は、病気の進行への不安や死への恐怖を抱えていたに違いないのに...。
父は、昔から穏やかで、優しく、不器用な人でした。
他人に嫌なことをされても、自分から謝ってしまうような人で、不満や怒りを表すところを見たことがありません。
いつしか私は、父はあまり不満を持ったりしない、よくできた人なのだと思い込んでいました。
父親としても、理由なく子供たち(私と2つ上の兄)を叱ったりしない、いい父親でした。
一方、母はとても怖い人で感情の起伏が激しく、よく私や兄に手をあげました。
父に対しても、口下手な父がちょっとした言い間違えをすると、よくからかって笑ったりしました。
私はそれがとても嫌で、子供の頃からずっと父は何故こんなきつい性格の母と結婚したのだろう? きっと、母と結婚したことをことを後悔しているに違いない、そう思っていました。
ところが、亡くなる数年前、私の予想と全く違う父の気持ちを知ることになりました。
まだ父に症状が出ていないある日、たまたま2人になった時、父がおもむろに話し始めました。
「お母さんには、よくやってもらってなんの不満もないけれど、俺の実家を好きになってもらえなかったのが残念だ」
その時の父の横顔は、とても暗く、険しい表情をしていました。
父のそんな厳しい顔を初めて見ました。
いつも穏やかで優しい父。
あまり怒ったところを見たことがありません。
そんな父の胸の中に、こんなに深い悲しみ、憤りがあったとは。
それまで、私は人のよい父を少し侮っていました。
母にからかわれてちょっと困ったように笑うだけで、言い返すこともできない父が好きだったけれど、威厳があまり感じられず、少しばかり物足りなさも感じていたのです。
でも、そんな父にも、表に出さない怒りや悲しみ、辛さ、悔しさがあったのです。
怒っていることの一つや二つあっても当たり前のことなのに、何故かとても意外に感じてしまいました。
「母になんの不満もなかった」と言ったことにも驚きましたが、それ以上に、自分の実家のことについては、母にそんなに不満があったなんて、全く気づかなかったのです。
父の実家は兼業農家で、父はよく手伝いに行っていたのですが、母は一度も同行したことがありません。
都会育ちの母は、田舎が嫌い、義父母のことも嫌いでときどき私に悪口を言っていました。
父はそんな母の気持ちを父は充分知っていたのに、文句を言うことはなかったのです。
「実家を好きになってもらえなかったことが残念だ」
この父の言葉を、私は母に伝えていません。
それは、やはり父が伝えるべきことだったはずだから。
父は、もっと母にも子供たちにも、自分の気持ちを伝えてくれてもよかったと思います。
それができないのが父だったのだと思うけれど。
私は、父のことを全くわかっていませんでした。
でも、死を前にした父が私に重い本音を話してくれたことを、大切な思い出として胸に抱きしめていようと思います。
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