「家事のできない母」と「理解のない父」を憎んできた私。でも亡くなる前の「父の告白」に後悔が...

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:leelin
性別:女
年齢:61
プロフィール:アメリカ人と国際結婚。現在は未亡人。息子二人、孫が二人います。

「家事のできない母」と「理解のない父」を憎んできた私。でも亡くなる前の「父の告白」に後悔が... 41.jpg

私の母は家事が全くできない人です。

片付けられないので部屋はゴミだらけ。

私が掃除をしてゴミにしか見えないものを捨てると「あれ要るのに、なぜ捨てた」としつこく言われたことをもありました。

料理も苦手で、弁当もまともに作ってくれませんでした。

それで口げんかになると、私もどんどんエスカレートしてしまいます。

「あんたは母親失格だ」

などひどいことをたくさん言いました。

そこへ父が出てきて、私に強い口調で言いました。

「親をいじめるな。親に説教するな、母さんのそばに来るな」

そんなことを言われ、私が責められました。

父も母のことを悪く言うときもあるのですが、私が言うとひどく怒ります。

私が頭にきて床に物を投げつけ、父とつかみ合いの喧嘩になったこともあります。

母には普通の母になってほしいだけなのに、どうして私ばかりが責められるの...といつも思っていました。

母は、言われたことはできますが、自分で考えて何かすることが全くだめでした。

なので困ったことがあっても母には相談しませんでした。

自分の意見はないに等しい人でしたから「わからん」と言われるだけです。

右を向いていろと言われたら、いつまでも右を向いてる人なのです。

母は仕事を辞めた後は、動物病院を開業している父の手伝い(電話番など)をしていました。

母が70歳を過ぎたころ、自分のやったことを忘れてしまったり、最初からなかったものを「さっきまでそこにあった」と変なことを言うようになりました。

「ひょっとしたら母は認知症かもしれないから、病院で診てもらったほうがいい」

心配した私は父に相談しました。

すると父はものすごく怒り、私を怒鳴りつけました。

「入院でもしたら病院の手伝い誰がするんだ。生活できなくなるだろ。お前みたいなヤツは出ていけ!」

早く医者に連れていくべきだと思ったのに、まったく予想外の反論が来て、腹立ちよりも情けなくなりました。

何より上記以外にも、ここでは書けないような酷い言葉で親から罵られたのがショックでした。

友人にその話をしたら、たぶんお父さんは自分の奥さんが認知症だということを認めたくないだけでは、と言われました。

確かにそういう気持ちは分かりますが、それにしても、自分の娘にひどい言葉を使ったことは絶対に許せなかったのです。

年齢とともに、昔ほどひどい口げんかは無くなり、母の認知症もひどくなってきたので施設に入り、その数年後、父が他界しました。

亡くなる前、父はこう言いました。

「母さんは、子供の時からちょっとゆっくりなところがあったと、爺ちゃん(母方の祖父)から聞いたことがある。爺ちゃんが死ぬとき、娘を頼むって泣きながら言われて、それが心に残って、母さんを守ってやらなけりゃならんとずっと思ってた」

ひょっとして、母は発達障害だったのかもしれません。

それを聞いたとき、あれほど憎んでいた父を......私は可愛いと思ったんです。

浮気も離婚もせず、約50年間、祖父との約束を守り続けていたんです。

父の葬儀の時、「お父さんは赤ひげ先生みたいだった」とか「仏様みたいな人だ」といった人が数人いました。

私が気付かなかっただけで、実は父はものすごく心の広い人だったのかもしれません。

父が亡くなってから、そうした思いが強くなっています。

私はひどい娘だったのかな......。

母に「何にもできない駄目な親」なんて言わなきゃよかった。

母は母なりに一生懸命やっていたんだと思います。

今頃悔やんでももう遅いです。

認知症が進んで、母はもう私が娘だとわかりません。

せめて父にひと言謝りたい......けれど私にできることは、毎日父の位牌に手を合わせることだけです。

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