<この体験記を書いた人>
ペンネーム:甘えん坊
性別:男
年齢:43
プロフィール:食品会社の営業職の43歳の男性です。駆け出しだったころ大きなミスをやらかしました。
営業の仕事はなかなかハードです。
毎日外回りで走り回り、楽しみといえば昼食ぐらいです。
とは言え、道すがらの店に入り、適当に頼むのが常。
今日は中華か、えっと、何にするかな......ラーメンもいいなあ、チャーハンも、と、ふと目に留まったメニューに、思わず注文していました。
「すみません、あんかけ焼きそば、1つ!」
カリカリに焼いた麺に野菜たっぷりのあん、ハフハフ言いながらすすります。
「うん、うまい! でも、やっぱり......」
なかなか我が家の母の味を超える物には巡り会いません。
うちの母は中華のシェフというわけではありませんが、その味は格別なのです。
そんなとき思い出すのはおよそ20年前のこと。
就職して3年経ったころ、仕事で大失敗をしました。
発注を間違えて、お得意さんに大量の欠品を出してしまったのです。
私はもうどうしていいか分からず、「体調がすぐれません」と一言だけの電話をして休んでしまいました。
「はあ、クビかなあ......辞表出した方がましかなあ......」
すっかり落ち込んでいました。
アパートにいても気欝なだけなので、ふらふらと街に出ましたが、何をする気にもなりません。
駅に行って、「○○まで1枚」と思わず実家の最寄り駅の名前を駅員に告げていました。
とにかく会社から離れたい一心だったのだと思います。
「どうしたの? 急に帰ってきて......まあ、とにかく上がって。お正月以来よね」
母(現在は70代。当時はまだ50代でした)は驚いた表情でしたが、にこやかに迎えてくれました。
「ん? ああ、近くに、出張で来たんでね、ちょっと、寄ってみた......」
「そうなの? 嬉しいわねえ」
ポロシャツにジーンズ、スニーカーを履いた私はどう見ても仕事帰りではありません。
持っていたのは財布だけという有様ですから、母が嘘だと気付かないわけはありません。
それでも、何も問いただすことなく、リビングに迎え入れてくれました。
「......親父は?」
「こんな昼日中に来て、いるわけないでしょ。来るって聞いてたら仕事休んでたかもね、お父さん」
母はくすくす笑いました。
なんとなくほっとしたのを覚えています。
「ああ、お昼、まだなんでしょ? ちょっと待ってね、......って言っても何にもないけどね」
そう言いながら台所に母が消え、やがて何か作っている音がしてきました。
その音を聞きながら(なんと言おう、どう言ったらショックを与えずに済む?)と戯言ばかりが浮かんでは消えていきました。
「はい、おまちどう! 来るって聞いてたらステーキぐらい用意しといたのにねえ」
母はふざけた調子で皿を置きました。
そこにあるのはアツアツのあんかけ焼きそば。
「覚えてる? これ、リクエストしたの」
就職して最初の年、一人暮らしの私を心配して訪ねてきてくれた母に頼んだことを思い出しました。
「なんか疲れてたものね、あの時。少しは元気が出るといいと思って作ったのよねえ」
そうでした。
慣れない仕事ですっかりくたびれていた私は、懐かしい味で生き返ったのでした。
「ゆっくりしていけるの? お父さん、6時ごろには帰ってくると思うけど」
「......いや、仕事が詰まってるの、思い出したよ。食べたら帰る」
焼きそばを食べながら、涙がこぼれているのを悟られないように必死でした。
「そう、仕事、大変ね。でも一生懸命やれば、きっとうまくいくわよ」
母が呟くように言いました。
その日の夕方、会社に出向き、上司に事情を話し謝罪しました。
「クビも覚悟しています、でも......」
「生意気言うな! 1回失敗したぐらいで辞めさせてたら、人手不足になっちまう!」
次の日から、また新たな気持ちで仕事に取り組みました。
ふとしたときに、あの日のことを思い出します。
母のあんかけ焼きそば、また食べたいです。
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