<この体験記を書いた人>
ペンネーム:きっこ
性別:女
年齢:50
プロフィール:雪国の田舎の長男に嫁いで四半世紀。夫、義母、社会人の息子と娘と5人暮らし。
結婚と同時に義両親と同居して25年。
昨年、義父が癌で亡くなりました。
義父の人物像をお話させていただくと、とにかく「清潔感」を大切にする人。
義両親の部屋はもちろん、家のトイレや玄関はたいてい義父が掃除をしていました。
神経質というわけではなく穏やかな人柄でしたので、家をきれいにする義父の姿が私にとってプレッシャーになることはなく、働きに出てからはむしろとても助かっていました。
ただ、義父は昔癌を患ったこともあり体が弱く、私が育休中で家にいる間は何度も一緒に病院へ足を運びました。
義母は車の免許を持っていない上に足が悪いため付き添えず、夫は結婚後に単身赴任になり週末のみ帰ってくる生活。
「私は義父と結婚したのかしら...?」と思うこともしばしばでした。
それでも義父は細く、長く生き続け、私たち夫婦の子どもを成人まで見届けてくれました。
ところが、80歳を迎えた頃に癌が再発、膀胱への転移も見つかりました。
高齢のためか進行は遅く、それからは検査や抗がん剤治療の為に2カ月に1回入院していましたが、少しずつ病状は悪化し、入院の頻度も増えていきました。
トイレやお風呂にも行けなくなり、きれい好きな義父は精神的にもつらかったと思います。
入院中にとうとう寝たきりになり、会話すらできなくなってからも...家族に下の世話をされるのだけは頑なに拒否。
最低限の世話しかさせないまま、自宅に戻ることなく逝去しました。
何度も入院していたので、馴染みのある方ばかりの看護師さんは、泣き崩れる義母に優しく寄り添い、「いつも身だしなみを整えて、病室もきれいに使ってくれたから、うんときれいにしておうちに帰ろうね」と、義父の遺体を丁寧に拭いてくださいました。
その後は長男の嫁として、隣近所が総出の葬儀に多忙な日々が続きました。
しばらくして来客も減り、仕事にも復帰した頃。
ふと義父の遺影を見た時に...切ない気持ちが湧いてきました。
「会話ができない義父に話しかけたりマッサージしたりしたけれど、本当にしてほしいことはできていたのかな...」
「本当は住み慣れた家で最期を迎えたかったのかな...」
そうこうしている間に今度は四十九日が近付いてきます。
我が家は四十九日に納骨をするので、「お墓掃除しなきゃ...」が毎日の口癖になっていました。
そんな中、法要の1週間ほど前、こんな出来事がありました。
息子と娘がホームセンターに行き、タワシや石材用洗剤を買って帰ってきました。
「何するの?」と尋ねた私に、ふたりはこう言いました。
「きれい好きだったおじいちゃんが『こんな墓にゃ入りたくない!』って怒って成仏できなかったら大変だからね~」
そう冗談を言いながらお墓掃除に行ってくれたのです。
お墓を気にかける私を気遣ってくれたこともあるでしょうが、ふたりからは、祖父への愛情がにじみ出ているようでした。
というのも、ふたりは私と夫が共働きで家にいない間、祖父母に面倒を見てもらって成長しました。
祖父と孫たちで、どのような話をし、どのように時間を過ごしたのか......。
親の私たちは知り得ません。
でもお義父さん、あなたが孫に惜しみなく注いでくれた深い愛情を、あなたが亡くなった今、彼らを通して私も感じています。
本当にありがとう。
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