20代で結婚して、2男1女を授かり、主婦として暮らしてきた中道あんさん。でも50代になると、夫との別居、女性としての身体の変化、母の介護...と、立て続けに「人生の転機」が訪れます。そんな激動の中で中道さんが見つけた「50代からの人生を前向きに過ごすためのヒント」をご紹介。今回は「最後まで自分らしく生きる難しさ」についてです
前回の記事:自分に自信をつけたかったのか...「モノと向き合う片づけ」をしてわかったこと
ある日の夕方辺りが暗くなり始める頃のこと。犬の散歩をしているとカウンターだけの小さな居酒屋の前を通りかかりました。たまたま入り口が開いていて中の様子が丸見えになっていました。大きな笑い声が聞こえたので何気に視線をむけると、高齢者の男性が3、4人でジョッキ片手に飲んでいるようでした。あらまぁ、楽しそうなこと。高齢だからと家に引きこもっていないで、気の合う仲間と飲んで夕飯を共にする。いい風景だなぁ。と思いったのです。
そのとき思い浮かんだのは母のことです。
前日、母のホームに面会に行きました。差し入れは納豆だけ。母の形相は鬼のように怖く眉間に皺が寄っていました。顔を見るなり、「頼むから、食べる物を持ってきて」「ここで出される物は不味くて食べられない」と。「そんなことを言うてるんは、お婆ちゃんだけやで」「みんな静かに食べてはるやん」と私。「そんでかて1回食べてみ、どんなひどいもん食べているかがわかるわ」と更に形相が険しくなっています。
この夏だったでしょうか、突然電話がかかってきて施設からは差し入れを禁止されました。理由は糖尿病が悪化しないため。それと、他の入居者さんの手前もよろしくないということ。それで、差し入れを止めたのです。
施設の職員さんは母に「娘さんが来てくれている時は笑顔で」「5回はありがとう!て言うてね」「感謝やで。感謝の気持ちやで」と肩に手をおき次々声をかけていかれます。
いったいどんな毎日を送っているんだろうか?ずーと不平不満を訴えているのかだろうか?と疑問を感じました。
母は81歳、施設の食事管理のおかげでとても元気になりました。最近ではもしかして100歳まで生きるかもしれないと思うようになりました。
一方でこういう人生ってどうなんだろう?とも思います。自分の意思がなかなか通らない。自分の好きに生きられない(母の場合はそれも自業自得といってしまえばそれまでですが)。自分の人生なのに他人に主導権を握られている、それがとても切ない。
年は誰しも平等に取りますが、その重ね方は違います。居酒屋で楽しそうな高齢者の姿を見かけた時に、母は一体人生のどこでボタンを掛け違えたのだろうかと思いました。
人生の後半をどのように過ごすのかは、最後だからこそ大切なのではないでしょうか。
最後こそ穏やかで、充実した生活を送って欲しい。
施設には月1回、差し入れを許可していただこうと思っています。その日だけでもご機嫌でいるために。
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