「女性の生き方ブログ!50代を 丁寧に生きる、あんさん流」主宰の中道あんです。
今回は、誰かに傷つく言葉やつらい言葉を投げかけられたときの、
「おまじない」についてです。
前回のエピソード:ちゃんと親孝行できたかな。最後のハワイ旅行と、亡くなった父に思うこと
傷つく言葉やつらい言葉を投げかけられたときは、悲しくなって凹みます。
若い頃の私なら
自分を守るために強く言い返したり
相手をギャフンと言わせてやろうと考えたりしていました。
なにせ、右の頬を打たれたらワンツーパンチを食らわせる!
というのが持論でしたから。
歳を重ねていくとそれなりに知恵もつき
人との距離もはかる事が出来るようになって、
そうそうそんな目には会う事はありません。
でも、この世の中距離のはかれる相手ばかりではありません。
どうしても付き合っていかなければならない人もいるのです。
それは仕事関係者だったり、子供のPTAや年老いた親だったりと、
自分のライフスタイルによって様々でしょう。
私はブロガーで、日々の暮らしの中で起きる出来事から自分の気づきを書いています。
記事に対するコメントでは多くの共感を頂いてはおりますが、
中には反対に否定的なコメントもあります。
私は人生には正解がない事は沢山あると思っているので、(いや正解が無い方が多いかもしれません)否定的な意見もその人の考え方だと思っています。
ですが、明らかに傷つく言葉を投げかけてくる人もいるのです。
そんな時に私がいつもする「おまじない」があります。
それは、「その言葉は受け取りません」と小さな声で呟くこと。
これは何かの本のお坊様の心のコラム一節だったと記憶していますが
『「受け取らない贈り物は誰の手にあるか?」それは「贈り主の手にある」』
たった数行の文章が心に深く刻みこまれ妙に納得したので、
後で詳しく調べてみました。
人々に尊敬されるお釈迦様を忌々しく思ったある男がお釈迦様を群衆の前で口汚く罵る。
お釈迦様はどんな悪口を言っても黙ってその男の悪態を見ている。
悪口を言い疲れた男は疲れたのかその場でへたり込んでしまいます。
その様子を見て、お釈迦さまは
『もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受けとらなかったら、その贈り物は誰のものか?』と聞く。
男は「贈り主の物に決まっているだろう!馬鹿なことを‥」と最後まで言い終わる前に自分の愚かさに気づく、というものです。
よく嫌な言葉を「聞き流す」といいますが、聞き流す行為は一旦、言葉を受け取ってしまいます。
だから、流したつもりでもいつまでも残ってしまいがちです。
受け取らなければ、自分のものではありません。
「おまじない」は心で思うより言葉を吐くことで吹き飛ばせます。
何故なら言葉は息を吐きながら言うので
内なる嫌な気も一緒に吐き出せる効果もあると思うのです。
だから小さな声で呟きます「その言葉は受け取りません」と。
そして私は、言葉を受け取って貰える人でありたいと思うのであります。
次の記事はこちら:50歳を過ぎて分かってきた、お酒の美味しさと楽しみ方
◇◇◇
「女性の生き方ブログ!50代を 丁寧に生きる、あんさん流」主宰。Ameba公式トップブロガー。結婚22年で夫と別居。自立した人生を送るため、正社員として働きだしました。社会人の長男、大学生の長女と同居しています。要介護2の実母は3年半同居生活の後有料老人ホームにて暮らしております。
『50代、もう一度「ひとり時間」』(KADOKAWA)
20代で結婚、2男1女を授かり、主婦として普通に生きてきた。でも50代になると人生の転機が頼まれもしないのに訪れる。夫との別居、母の介護、女性としての身体の変化、子どもたちの成長。そこから見つけた「ひとりの楽しみ」をあますところなく伝え続ける、「あんさん」流のアラフィフライフ。50代からの人生を前向きに過ごすためのヒントが満載。