<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ひまわり
性別:女
年齢:44
プロフィール:もうすぐ母の三回忌。毎夏、母と夢中になった夏の高校野球に今年も夢中になりました。
毎年8月に高校野球が始まると、夏の甲子園を楽しみにしていた母を思い出します。
母の母校は、甲子園の常連校と言われるところで、今年も県大会を勝ち抜き、甲子園のグラウンドに登場しました。母の高校時代にも甲子園に出場しており、母も甲子園に応援に行ったという思い出話をよくしていました。
そんな縁もあって母はずっと高校野球ファンでした。
母は、もし私が男の子なら野球選手として育てて、甲子園のアルプススタンドで「息子の母」としてインタビューを受けたかったな、と羨んでいました。
私も幼いときから母の横で夏の甲子園を観戦、後に語られる名勝負を手に汗握りながら見ていました。今では、私も大の高校野球ファンです。
私が物心ついた頃でしょうか、いつものように母と高校野球を見ていると、母が箪笥から小さな箱を持ってきました。それは有名百貨店の包装紙に丁寧に包まれ、さらにビニール袋に二重に入れられたもの。母はそれをニコニコしながら開けて見せてくれたのです。
そこには、甲子園出場記念品らしきものと、フィルムケースに入った砂、そして高校球児なら誰もが憧れるエースナンバー1のゼッケンでした。
なぜそんなものを持っているのか聞くと、母が高校三年生のとき、甲子園で活躍した同級生のエースのものだというのです。
そのエースの少年は母のことが好きで、恋文と一緒にそれらを母に渡してくれたそうです。恋文は見当たりませんでしたが、母はいつかこれを返してあげたいと大切に持っていたとのこと...。
テレビに映る野球少年を見ながら、母は自分の青春時代を語りました。
高校球児の普段の様子、夏の甲子園に応援に行ったこと、あとは「お母さんはモテた」という話。子どもの頃から授業参観に母が来ると、「きれいなお母さん」と言われることが多く、若い頃はさぞかしモテたんだろうな...ということは想像できます。母が私に自分の青春時代を話してくれたのは印象的でした。
それからというもの、毎夏、その小さな包み紙が登場するようになりました。
毎回、初めて話すかのように思い出を語る母。
でも、母はそのエースの思いには応えなかったそうです。「あまり好みではなかったから」と案外アッサリしたものでした。
当時の彼にとっては、夢の舞台に立った証であるゼッケンはそれはそれは大切な宝物だったと思います。随分思い切ったというか、「それほど母が好きだったのかな?」といろいろ想像したものです。
母は、高校を卒業し、社会人になり、結婚、出産、孫ができるまで、それを大切に持ち続けていました。
きっと母は、毎夏甲子園で繰り広げられる球児たちの「筋書きのないドラマ」、彼らの青春や友情、そして感謝を胸に戦う姿を見てきたからこそ、それらを捨てることが出来なかったのだと思います。
だから長い間、大切に大切にしまっていたのでしょう。
そして、母が亡くなる2年前のこと、高校の同窓会の案内がきました。当時は病気の治療中だったこともあり出席できなかった母は、同級生にそれを託したそうです。いつかそれを返してあげたいとずっと言っていました。
もしかしたらその人にも子どもや孫ができていて自慢できるんじゃないか、また、もし何かに落ち込んでいてこれを返してあげたらまた元気になるのではないか、といろいろ想像していました。
その後、その方に夢の舞台の証が届いたかどうかはわかりません。
母の元で長い間大切にされてきた青春の証。素敵に年を重ねたはずの、エースだった同級生の方に届いているといいな...。
甲子園が始まるたびに思い出します。
関連記事:最期までお母さんらしかったね。お疲れ様でした。ありがとう。
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。