<この体験記を書いた人>
ペンネーム:こまめ
性別:女
年齢:47
プロフィール:買い物大好きな母(74才)と、断捨離に目覚めた私の片づけの攻防記録です。
片づけのきっかけは、2018年の北海道地震でした。築40年のマンションに暮らしていた両親。飾り棚から食器が飛び出し、タンスの上のものは落ちて散乱。壁紙は剥がれ、外壁もポロポロ剥がれ落ちて、ケガひとつなかったのが不思議なくらいの荒れ方でした。管理会社も変わり、手入れの行き届いていない、もともと結露の多い古いマンションでしたので、父(69才)の退職も見据え、こじんまりとした所に引っ越すことになりました。場所は、私の家から徒歩10分。何かあればすぐ行き来できる距離です。
引っ越し前の段階で、欠けた食器や使わない家具、古い衣類など結構な量を処分しました。その量、40Lのゴミ袋100個! 集積場に軽トラで運んだのですが、ここで悲劇が。この100個のゴミ袋、分別が全くできていませんでした。母は何故か集積場でなんでも燃やせると思いこんでいたようで、おかげで1つ1つ開けて分別し直す始末。地獄のカマじゃないんだからさ、燃えるゴミ、燃えないゴミ、ガラスかプラかより分けるんだよ~って、半泣きな娘の説明に、「あら~! そうなんだ!」とびっくり顔の母。普段はしっかり分別して捨てているのに、いったいどうしたことでしょう。そしてこの量はいったいなんなのだ。フライパンだけで10個あるよ......。
そして、ドタバタな引っ越し作業もなんとか終わり、新しい部屋の中に積み上げられた大量のダンボール。軽くめまいがしましたが、そんな暇はありません。「お母さん、これはもっともっと減らさないと収まらないね」、「そだね~」と母は軽い返事。ホントに分かってる?と聞きたいくらいでしたが、それからは時間のある限り実家に行き、どんどん出てくる衣類にドン引きしながら手伝いました。開けてない衣装ケース2箱は冬物で、ひとつも使わずにひと冬越したことに本人もびっくりしていました。
もったいなくて捨てられない、人に頂いたものだから捨てられない。なにかと捨てられない母に、使われないでホコリかぶってるほうが可哀想だよ~って言ってみたり、安物大量よりお気に入りに囲まれたほうが楽しいよ~って提案したり。母は責められるとそっぽ向いてしまうので、きつい言い方はしないように気をつけながら一緒に断捨離。「なんでこんなものとってあるんだ!」を何度も飲み込みながら、ひとつひとつ確認を続けました。私にとってはガラクタでも、母には人知れず大事な物かもしれませんので。
それにしても、なんでこんなにものがあるのか不思議だったのですが、謎がとけました。もともと社交性がありお友達たくさんの母は、昔からなんでも引き受けてなんとかしちゃうタイプ。今も週5で外出しているので、あれやこれやと人のために動いているのでしょう。だから頂きものも多いんだな、と納得。そして、あるときたまたまスーパーの衣料品コーナーに吸い込まれていく母を目撃。これも原因のひとつでした。「お手ごろ価格」という罠にハマっていたのでした......。
私の願いは、大好きな両親が、気持ちよく幸せに老後を過ごすこと。そのための片づけバトルはまだまだ継続しています。また似たようなシャツ! それいる? いらないっしょ!
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